2023年に考えた事

Dsc_6996_20240120063301  こちらへの投稿はなんと約5年ぶり!! 誰も読んでくれないかなと思いつつ、私もずいぶん年老いてしまって、そろそろ人生も納め時かなと。何か人類の未来に貢献したいなという思いは持ち続けています。

 地球について、人類の未来について、2023年に考えたことを文章にしてみました。      

 僕が大学生だった40年前、「地球はだめだ、人類は滅びる」とか言うと、「宗教だ、カルトだ」と避けられた。今の時代に「地球はダメだ、人類は滅びる」とか言うと、「地球温暖化かぶれだ」と避けられる。環境危機から目を背け、楽しい現実の世界に浸る方がいいのかなって思う時もあるし、今の僕は実際そうなっちゃってる。そしてそれは、環境危機について深く考えれば考えるほど、絶望的な未来にしか辿りつけないからかもしれない。       

 皆がそれぞれにできることをやっているだけでは、温暖化を止めることはできないことはもはや明らかだし、また、世界がいろいろな形で取り組んでいる温暖化対策は、温暖化を遅らせる効果は期待できるが、完全に止めることはできないばかりか、根本的な問題を何も解決できない(根本的な問題とは、増え続ける世界の人口と、それに伴うエネルギー、資源および食糧の不足、さらに地球温暖化がこれに拍車をかけること)。そして、この根本的な問題が解決できないのは、簡単に言ってしまえば、その問題が、人類が生命体であるがゆえに持つ根源的な問題であり、言い換えると、遺伝子が自己の増殖を目的としている以上、逃れようのない宿命であるから。ここが一番説明が必要で重要なPointであり、詳述する必要があるのだが、それを理解していただくためには、またまたすごく長い文章を書かなければならないので、ここでは省略する。       

 ただ人類は、過去において、何度も大きな変革を成し遂げてきた。2度の世界大戦を経験し、奴隷制度を捨て去り、人種差別をやめ、男女は平等となり、他の生命体をも保護しようとしている。そう、今の我々には想像もできない、環境危機を乗り越えることのできる劇的な進化が、この先の未来に起こり得るかもしれない。だけど、過去の変化と、今回の危機との違いは、過去のものは、人類が繁栄してゆく中で、ある程度余裕ができたからこそ成し得たことである。今回の危機を乗り越えるためには、俗的な表現をすれば、貧富、性別、国家あるいは人種に拘わらず、皆が一様に「我慢」しなければならなくなる。だけど、その我慢できるレベルは、人によって全然違う。夏暑いのを我慢する、冬寒いのを我慢する、娯楽、スポーツ、ドライブや旅行を我慢する、贅沢な食事を我慢する、一軒家に住むのを我慢する、おやつは禁止、食事は1日2食まで、私有財産の制限、子供の数は1人まで、人生は70歳まで、そう、だけどその我慢できるレベルは人によって全然違うし、暮らす国や地域、その人の裕福さによって全然違うのだ。ここではっきり言えることが1つ、金さえあれば何でも手に入る資本主義の元では、地球温暖化は止まらない。だけど、もう一つ、資本主義は生命体の本性が具現化したものであり、たとえ形式的に資本主義を放棄したとしても、生命体の本性を変えることはできない。

 人類が辿る未来はこんな感じだろうか。エネルギー、鉱物資源、食糧などが不足し、国家レベルの奪い合いからの戦争。温暖化のさらなる進行にもかかわらず、危機に直面する国々を切り捨てる先進国の自国第一主義。戦争に明け暮れ、人々は疲弊し、このままではいけないとどこかで気づくだろうが、その先でどんな未来を築けるだろうか。では、こんな未来はどうか。増え続ける人口を抑制するために、子供の数は1人まで、人生は70歳まで、旅行の禁止、エネルギーの消費を抑えるために一軒家の禁止、集団生活、すべての贅沢の禁止、私有財産の禁止、それで地球は守られたとして、それが本当により良き未来なのだろうか? あるいはこんな感じはどうか。人類自身による統制は諦め、AIに委ねる。その結果の未来はというと、上のパターンと同じようなものだろうか。未来学者や環境活動家は、人類の危機、地球の危機を訴えかけるが、彼らの理想とする、危機を乗り越えた後の世界はどんなものなのだろうか。一方で、何もせずにただ流されて生きることが正しいことだとは決して思わないが、結果に何も期待できない中で闇雲に努力できるほど脳天気な人間でもない。素晴らしい未来に向かえる道が本当にあるのだろうか。これからも頑張って思考してみたいと思います。最後まで読んで下さった方、どうもありがとさんです。




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2019年6月21日 (金)

破滅へ向かう世界

 世界で一番お金持ちで贅沢で豊かで幸せで、そして最強の軍隊、最大の軍事力、世界を丸ごと破壊できる最終兵器を持っている国が、貧しい国々に対して、「貿易が不公平だ、武器が不公平だ!」と言って、さらに儲けようとする、搾取しようとする。そして、新しい武器と入れ替えるために古い武器を消化し、兵士の訓練のために戦争を仕掛け、虫けらのように殺戮行為を行う。

 第2次大戦が終わって、人々は平和を求め、やっとここまで来たはずだったのに、今また第2次大戦前と変わらない世の中になってしまった。すべてがトランプのせいだとは言わないが、今の時代の流れの中での帰結がトランプであり、もうすぐ始まるかもしれない第3次世界大戦。人類とは何か? 文化とは? 文明とは? 進化とは?

 僕は、人類にとっての進化とは、社会の文化的、科学的な進歩もそうであるが、それよりもさらに、人間の心の進歩こそが人類の進化だと思っていたが、実際は社会の豊かさに覆い隠されていただけで、何も変わっていなかったのか?

 トランプはおかしい!! 今の社会の流れはおかしい!! 自分には関係ないこととか、自分一人が頑張っても何も変わらないとか、そうじゃない!! 平和を求める僕たち一人一人が真剣に考え動かなければ何も変わらないぞ!! 手遅れになる前に、今自分にできることを考えよう!!

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2010年4月 9日 (金)

愛するってなんだろう?

 おはよ..。

 昨日は9時に泣き寝入りしたから、4時に起きてしまった。一から出直すつもりで頑張ります。

 そもそも愛するって何だろう? 遺伝子学的に考えれば、「愛」=「生殖行為」、すなわちセックスということになる。

 人間以外のほとんどすべての生物(ゴリラのような極めて人間に近い霊長類は例外かもしれないが)は、セックスが生きているうえでの唯一で究極の目的であり、彼らは何の疑いもなく、次の生命を創り出すために生き、そしてそのために死んでゆく。

 それを汚らわしい行為だと感じるだろうか?

 そんなことはあるはずがない、そう、私たちが最高の愛というように感じるような感覚を彼らはセックスで感じているはずだ。

 では、私たち人間ではどうだろうか? 私は男性なので、見方が男性の立場に偏ることをご容赦願いたい。

 たとえば、ナンパな男がいて、彼は次々に可愛い女性をモノにしてゆく。自分の大好きな女の子も、ナンパな男と知りながら、簡単に奪われてしまった、とする。

 もてない男の立場からすれば、「なんてくだらない男だろう」と感じるが、そもそも生物学的に見れば、容姿や話力など様々な点で、より優れた繁殖力を持っていて、遺伝子的に優れているということだ。

 そして、すぐに女性をゲットして自分の遺伝子をばら撒いている男は、生物学的な意味での「愛」を敢然と実行しているだけで、何ら誤った行動を取っているわけではなく、「社会」という存在がこの問題を複雑にしているにすぎない。

 逆に、女性をろくにゲットできず、生物として劣っている僕が未だに生きていられるのは「社会」が守ってくれているからだし、生きてこれたことに感謝しなければならない。

 たとえばセイウチなどは、コロニーで交尾できるのは最も強いオスだけだ。

 では、なぜ人間だけが「愛」と「セックス」を別の物と考えるのだろうか?
 
 今度は女性の立場から考えてみよう。

 人間の場合、女性は子供を育てなければならない。

 原始的な生命ほど、子供は最初から完成している。周りに敵はいっぱいいるが、卵から出た瞬間から動くことが出来、食べ物を得ることができる。だから、子育ての必要はない。しかし、鳥類や哺乳類は子供を育てなければならない。だから、単純に容姿だけで判断してパートナーを選ぶわけにはいかない。

 といっても、人間以外の生物は、容姿=生命力であって、たとえば、サル山のボス猿はサル山で最も強く、そのことが女性や子供を守ってゆく能力に直結していたから、メス猿はボス猿と交尾することに何の疑いもないはずだ。

 しかし人間の場合、「社会」というものが存在し、その中で女性自身が生き、そして子供を育てるためには社会的な能力も評価しなければならない。お金を稼ぐ力、うまく渡り歩く力、女性を守る力。

 そんなものが評価基準として入ってくることで、人間の「愛」が複雑になってしまったのかもしれない。

 たとえば、私たち人間も、より若い頃ほど、比較的容姿や運動能力などに惹かれ、恋をする傾向があると思う。それは社会的な経験が浅く、愛において原始的な判断をしているといえる。しかし年齢を重ねるにしたがって、そのような基準で簡単に恋に落ちることは少なくなり、社会的な能力に評価の基準を移していくようになる。

 さて、ではここでもう一度自分自身に戻って考えてみる。

 私は元々、容姿や運動能力において、同年代の男性にくらべてかなり劣っていた。だから、愛を獲得するためには、それ以外の部分で自分自身を磨き、女性を惹き付ける能力を身につける必要があった。それはたとえば、知力であったり、社会的な信用などであった。そうして、この社会で生きていく能力に優れていることをアピールしてきたのだろう。

 では、最後にまとめてみよう。人間において「愛する」ってなんだろう?

 社会的な判断基準が少ない若い頃ほど、「愛」=「セックス」となる傾向が強く、それは生物学的に全く正しい行動といえる。しかし、経験を重ねるにしたがって、社会で生きてゆく能力を重視するようになり、それで異性を選ぶことが単純でなくなり、じっくりと時間をかけてセックスするパートナーを選別するようになる。

 そのようにして、パートナー選びに要する期待と不安に満ちたほんわかとした時間の流れこそが「恋」であり、そうして結実したものが「愛」ではないだろうか?

 だから決して、「愛」と「セックス」は別物ではなく、入り組んだ社会の中で結実させるにはたくさんの労力と時間を要する分、それを結実させるまでの過程を「恋」として楽しみ、さらに、いったん決まったパートナーを結実した後の「愛」として時間をかけて楽しむ。

 最終的には、遺伝子を残すという生物としての唯一の目的を果たすためであるが、それに至るまでのすべての過程(恋)、そしてそれを達成した後の子育てを含む時間(愛)を人間は大いに楽しむために生きているのではないだろうか?

 結論とすれば、社会というものが、愛や恋、セックスをわかりにくいものにしてしまったが、人間はその社会という複雑な環境の中で、それぞれの楽しみを見出してきたのではないだろうか?

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2010年2月11日 (木)

pocket

 というわけで、朝の4時半まで飲んでました...アホや....。

 最後に行ったのは、ちょっと奥まった場所にある「pocket」という、とてもマニアックなカラオケ喫茶のようなお店。3年と3ヶ月前に一度行ったきりでしたが、僕にはとても思い出深い店だったので、もう一度行きたいとずっと考えていたのでした。

 何が思い出深いかと言うと、その3年と3ヶ月前の、地球を愛する会の立ち上げ直前、年も押し迫った12月の22日、その後地球を愛する会のスタッフとなるメンバー数人と、やはりその時も夜中の1時から5時まで、そのカラオケ喫茶でみな半分寝ぼけたような状態で、それぞれが思い思いの時間を過ごしたのだとは思いますが、すごく固い絆ができたように僕は感じたのでした。

 その時最後に、メンバーの女性が歌った絢香の「三日月」に、僕も含めて、何人かの愚かな男達が涙を浮かべていました。

 難しい言葉じゃなく、理屈の通ったお話じゃなく、そんな何気ない時間が人の心を豊かにしてゆくんだなあ、とすごく感じました。

 あの頃、一つ一つの出来事が、一瞬一瞬の時間が、何か大きなものに包まれている、守られているような、そんな不思議な毎日でした。



 で、現在ですが、朝家に帰って、まずは自分家と両隣の除雪して、風呂入って、そして床に入り、先ほど新しい1日が始まりました。普通に思い切り二日酔いです..頭( ; ̄ω ̄)ゞイテテ・・・



 あ、ブログを読みに来てくださったみなさん、ほんとうにありがとう!! まだこんな感じですが、これからは素朴に行きますので、よろしくお願いします!!

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2010年2月10日 (水)

何の意味も無く....

 僕の場合、日記を書く時はいつも気構えていた。というのは、ブログを始めたそもそもの目的があったからだ。うまく表現できるか自信はないが、たぶん以下のような感じ。

 自分はきっと目的があって生かされている、だから、自分の生き様や自分の考え方を多くの人に伝えなければならない、その目的というのは、自分の場合は、環境活動を通じて世界の平和を実現すること、世界の平和を実現するためには、人は憎しみ合っていてはいけない、憎しみ合わないためには、表面的な手段よりも、人々の心に平和をもたらすことが一番大切、だから、僕はブログや日記を通じて、そんな生き方の大切さを伝えよう....

 みたいに考えていたので、その考えにマイナスの影響を及ぼすようなことには、自分自身でフィルターをかけてしまい、日記には書かなかった。すると、どんどんと内容は限定され、いつのまにか日記を書けない人になってしまっていた。

 そんなこんなで、たぶん2年以上は経った。

 最近、上記の考えは大きく揺らいでいる。

ひとつ、人間社会に恒久的な平和をもたらすことなど不可能ではないだろうか?

ひとつ、人の心の救いなど、夢物語ではないだろうか? 

そしてもう一つ、自分に与えられた摂理はもう終わったんじゃないだろうか?

 もちろん、これらにも答えが出たわけではない。どれほどに文明が発達したとしても、「悟る」ということほど難しいことはないなあと、今さらに感じる。

 もうちょっとで悟れそうだと思ったんだけど、結局振り出しに戻されてしまった。あまり時間は残っていないのに...。

 そして今、何の脈絡もなく、思ったままの日記を書いてみようと思った。そうすることで、本当の自分自身を理解できるんじゃないかと思った。

 たぶん、内容は今後もけっこう重いのではないかと思うが、日々の考えをありのままに書き始めてみたいと思う。

 読者のみなさん、今後もお付き合いください。

 ちなみに、今夜も一人、自分自身もわからない何かを求めて、夜の街を彷徨いますビール お酒、飲めないのにね...。

 あ、そういや、今日そのことを思い立ったのは、今日が僕の大切な親友の誕生日だったからです。
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2010年1月29日 (金)

風邪引いた

 たぶん風邪引いた...。先週、いろいろと大きな仕事を済ませたので、気持ちが緩んだのだろう。それに、調子悪いのに、新年会ガンガン出席してたし...。

 というわけで、今日はずっと寝てます...。さようなら..。

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2010年1月15日 (金)

月形産トマトジャム

 月形町では、町長が現町長に就任して以来、毎年、町主催の新年交礼会というイベントがあって、町民たった4000人弱の町で、300~400人くらいは参加するのだから、町内では一大イベントなわけだが、今年も参加しました。

 イベントの内容としては、町長をはじめ、いろいろな方の挨拶があって、それから、今年は年男による餅つき大会などが催された。

 また、本イベントの最大の楽しみは、町内の農産物を利用した、地産地消のお料理やデザートで、時間の許す限り、腹いっぱい食べられるのだ。

 というわけで、イベント中に写真撮ったわけではなく、レポートする気で参加したわけでもないのだが、どうして急に思い立ったかというと、その時に並べられていたデザートなどをたくさん拝借して持ち帰り、今ひそかに楽しんでいるというわけだ。

 国道12道線沿いの、北喜常(きたきつね)というレストランの隣に、ファームマート旬という、地元農産物を加工して、ジャムやパンなどを作って販売しているお店がある。ふだんはそこに並んでいる商品なのだが、「月形産完熟トマト100%のトマトジャム」、今いただいているのは、特に「黒宮さんのトマトジャム」と書いている。

Dsc_1060 Dsc_1058  パンを買いに行こうかとも思ったのだが、外は猛吹雪なので、おやつ代わりにそのまま食べてみた。

 さすがに、単品で食すのはちょっと甘みが強すぎるが、適度な酸味と、トマトの風味がとても心地よい。そんなにパクパクと食べられるものとは思ってなかったが、気がついたら、もう半分になっていた。

Dsc_1061  残りは明日の楽しみに、と言いたいところだが、たぶん一時間ももたないだろう。

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2010年1月 1日 (金)

あけましておめでとう!!

20102 20101  月並みですが、今年もよろしくお願いします。あ、添付ファイルは、地球を愛する会@月形の2010新春号です。

 さて、昨年2009年は、私個人にとっては、大変に苦しい一年となりました。基本的にガチ日記で通している私としては、精神的に安定していない状況では日記を書くこともままならず、ほぼ沈黙を続けることとなってしまいました。ほんとうに申し訳ありません。

 年が変わって何かが解決したというわけではありませんし、相変わらずいろんなものを引きずっていますが、そろそろ動き出さねばなりません。そんなに時間は残っていませんから。

 個人的には、つい先日46歳になって、自分で決めた寿命まであと4年を切ってしまいました。自分の能力でできそうなこともだんだんと限定されてきて、残りの時間をどのように使うか、早急に決めたいと思っています。

 世界的には、昨年末のCOP15、今の世界の経済状況と、人類全体の精神レベルを考えれば、予想通りの結果ではありますが、やはり残念でした。世界は今後、いろいろな意味で、ますます酷くなるでしょう。世界大戦が起こるか、あるいは戦争は起こさずに弱者がますます切り捨てられてゆくか、その鍵を握っているのはアメリカと中国とイスラエルでしょうが(ロシアや中東、ヨーロッパも重要ですね、一番どうでもいい国は日本かも)、どうなるにせよ、強者が妥協しない限り、悪い方向に進む以外に選択肢はありません。
 
 希望の見えない年がまだしばらく続くと思います。人の心もますます閉鎖的になってゆくでしょう。

 でもそんな中にも、小さな希望の光は人々の心の中で確実に育ってゆくと思います。

 そして遠くない将来、劇的な変化が起こります。それがどんな方向に向かう変化になるのか、悪い方向に向かうことばかりを考えてしまいがちですが、決してそうではなく、その方向性を決めるのは今生きている私たちです。

 予言じみた書き方をしてしまいましたが、今の世界のあらゆる状況を解析すれば容易に出てくる結論です。とにかく、広い視野を持って、世界を見つめることが大切です。

 今一度原点に還って、自分の生き方と、世界との関わりを見つめ直してみたいと思います。

 まずは、頑張って日記続けたいと思います。今年もよろしくです!!

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2009年12月 7日 (月)

2010年度もアルバイト募集します!!!!

 本業の平尾花卉の方ですが、2010年度も頑張って働きます!! で、手が足りないので、いっしょに働いてくれる人を募集します。うちの労働環境は決して悪くありませんし、かなりお金は残せると評判です!!

 詳しくは、以下のページをご覧ください!!

平尾花卉のホームページ

http://homepage2.nifty.com/AoiKeSi/

 「2010年度のアルバイト募集中!!」ってところをクリックしてください!!

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2009年11月29日 (日)

どんなもんでしょうか?

 最近、友人に勧められて、マンガの「ワンピース」を1巻から最新巻まで一気に読んで、数箇所で涙流しました。

 私が涙した場面、特によく覚えてるのは、ドクターが桜を咲かせるところと、ルフィが鐘を鳴らすところでした。

 ところが、そのいすれも、友人が泣いた個所とは違うんですね。友人はそのどちらも感動はしたが涙は流さず、友人は泣いたところは、チョッパーが過去を回想する場面でした。

 そこで僕が思ったのは、人によって感動する部分が違うのは、そこに共感しているかどうか、感動の根本は共感なんだなあ...と。

 そして、共感するのは、そこに自分自身と重ね合わせる部分があるからで、それはさらに過去の経験などが影響しているのだなあ...と。

 で、で、ここからなんですが、するってえと、物事に感動したりとか、豊かな心を養うためには、いろいろな人生経験、悲しいこと、嬉しいこと、苦しいこと、そんな人生経験こそが重要なわけで、

 そんな人生経験を養うためには、良いこと以外は存在しない地上天国みたいな世界では豊かな心は育たない、それよりも、善も悪も混在した、今の世の中みたいな世界でなければならないのかなあ...。

 そして、そんな善と悪が拮抗している世界から、だけど決して悪には心奪われず、多くの人の心を救い出し、豊かな心を養ってゆく、

 そんなことが、生きてゆくためにはいろいろなことをしなければならないわけですが、そのすべての人生の根底にある究極の目的なのではないかと思うのですが、どんなもんでしょうか?

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2009年10月 1日 (木)

産地ウンチク探検隊

 みなさん、こんにちは!!

 日本最大の花市場、東京の大田花きのHPで、「産地ウンチク探検隊」というコーナーがあるのですが、現在、月形の花がトップ記事になってますので、ぜひご覧ください。

http://www.otakaki.co.jp/blog/place/

 私は、二番目に紹介されているスカビオサ生産者です。自分的には写真写りが最悪、よれたじいさんみたいで気に入りませんが、写真は正直ですので、きっとこれが今の現実の姿なのでしょうね。・゜゜・o(iДi)o・゜゜・。うぇぇん

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2009年9月26日 (土)

悲しい朝

Photo Photo_2  地球を愛する会の広報紙2009秋号を発行しました。画像が小さくなってしまう方は、地球を愛する会@月形のブログにアップされている方をご覧ください。
 さて、この広報紙を発行したことで、友人を二人失いました。それぞれ、前政権の支持者でした。そして、長きにわたって大切にお付き合いいただいた友人でした。

 僕は別に、手放しで民主党を支持しているわけではありません。広報紙の内容を見ればわかると思いますが、温暖化の目標は非常に高いものですが、その一方で、温暖化に逆行する政策も掲げています。

 昨日も、国連総会などで鳩山さんが演説をしたニュースが報じられており、世界各国や環境NGOなどがエールを送っているというように伝えられていましたが、そのエールの意味はそれぞれの立場によって大きく違っていると思います。

 環境NGOなどは大いに歓迎していることでしょう。しかし、世界の国々は、おそらくは冷ややかに、あるいは世間知らず、外交知らずのバカな首相と内心では思っているかもしれません。さらに、国内の産業界からは大反発を食らうだろうし、民主党内でも全面的に支持されているとは思えません。国民だって、目標達成に向けた具体的な方法や規制が示されると、民主党政権になったら生活が楽になると信じていた支持者はどんどんと離れていくことでしょう。

 そんなことを感じながらも、非常に困難な目標、非常に困難な道のりに向かって、人類の未来に理想を掲げ、希望の光を点そうとしている、今やドンキホーテにさえもなってしまいそうな鳩山さんを、僕は一環境活動家として、支えてやりたいと考えました。

 そんなところですが、もっと大切なことは、お互いに理解しあい、認め合うことだと思っています。全世界の様々な政治、宗教の壁を越えて、その多様性を認め合っていかなければ、本当の世界平和は訪れないし、地球温暖化も止めることはできないと思っています。

 そんな中、友人を二人も失ったことは、本当に残念なことです。僕は、もっと心の深いところで結びついていたと思っていたのですが、これが現実なのですね。

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2009年9月 1日 (火)

夕焼けと小焼け

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 おとといの夕焼けと昨日の小焼けです。

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2009年7月10日 (金)

2009年度のスカビ

 今年度のスカビをポスターにしました!!

Original2009poster

 大きな画像をご覧になりたい方は以下のURLのファイルをダウンロードしてください。

http://moonflorist.way-nifty.com/moonflorist/images/original2009poster.jpg

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2009年6月24日 (水)

近況など(>。<)y-゜゜゜ゴホッゴホッ

2009natu1 2009natu2  例年であれば、寝る間もなく、花を捌きまくっている時期のはずですが、今年はさっぱり咲かない。理由はもちろんわかってます。

 6月になってから、昨日まで続いた長雨と低温。どのくらい遅れているのか、想像もつかないほどに花は遅れている。

 今日になって急に温かくなり、明日以降もかなり暑い日が続くようで、ようやく今年の夏が始まります。

 で、最近悩みの多い私は、そろそろおいらの人生も斜陽かなあと思いながら、だけど考えてみれば、やりたいことはすべて実現してしまって、残りの人生で特にやりたいこともないので、せめて人様の役に立って、誰かに必要とされる余生を送りたいとしみじみ思う。

 斜陽といえば、昨日NHKで太宰治の特集やってた。おいらも若き頃、太宰の「人間失格」には大いに共感した。大衆と同じものに楽しみを感じられない、価値を共有できない、そんな悩みはずっとあって、そのことがおいらを今の人生に向かわせたのは間違いない。間違いだらけの人生だったが、そんな人生が今のおいらを創ってくれたのだから、後悔もするが、感謝もしている。

 が、番組中にコメントした井上寿のアホぶりには驚いた。二流作家はなぜに二流作家なのか、ある意味わかりやすかったが..。

 二流といえば、政治家も最近は二流ばかりで、日本にはオバマのような一流の政治家が現れないのかなあ...。たとえいたとしも、政治家をしているうちに、私利私欲や駆け引き、利権にがんじがらめにされてゆき、よいお年頃になった頃には二流へと落ちぶれてしまうのだろうか..。情けない..。

 二流政治家の二流ぶりを連日のように見せられたら、それでなくとも政治離れしている国民が、ますます無関心になってしまう。これはメディアの報道にも大いに問題があるのだろう。

 温暖化報道にしても、温暖化対策として、何が正しくて何が正しくないのか、何が必要で何が必要でないのか、何が持続可能な方法で何がその場しのぎに過ぎない対策なのか、おそらく報道しているメディアが理解できていないから、ソースからの情報をただ流すだけ、そのソースが時にはスポンサーの影響を受けていたりするから、何もかもぐちゃぐちゃで、だからこそおいらのような立場の人間が活躍する場も残っているわけだが..。

 ということで、細々ですが、頑張ってます!! 本日添付の広報紙は、おととい発行いたしました、地球を愛する会@月形の最新2009夏号です!!

Happy Birthday!!
 

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2009年6月21日 (日)

原点に還ろう!!

 昨日NHKで放送された「日本のこれから」を見て感じたことですが、最近の日本の環境問題の流れに少なからず不安を感じています。また、日本のメディアや政府、それに産業界の姿勢には絶望感さえも感じてしまいます。

 「経済を落とさないようにしながら、いかにして環境問題を解決するか?」、あるいは「環境をいかにうまくビジネスに取り入れるか」、さらには「環境問題を利用して、うまい金儲けを考えよう}、今の環境問題の議論はそんなところです。

 昨日の番組もそうですが、私が感じるところですが、日本の環境問題の考え方がこんなに情けないものになってしまったのには、環境保護派の体たらくも大いに影響しているのではないかと思います。

 環境問題が最初に問題にされ始めたレイチェルカーソンの頃は、「環境と経済の両立」などという考え方などなく、「純粋に地球の環境を守ってゆこう!!」というものだったはず。その後の様々な局地的な環境問題にしても、環境保護派は純粋に地球環境の保護を訴えてきました。

 ところが、近年のオゾン層や温暖化というグローバルな問題が出現してきたところで、環境保護派の考え方も打算的になってきたのではないでしょうか?

 大きな問題を解決するためには、多くの支持が必要、多くの支持を得るためには大衆を味方につけなければならない、大衆を味方にするためには「環境問題と経済は両立できるんですよ」、「環境を保護しながら、儲かる仕組みを考えましょう」、そんな呼びかけして、大衆に迎合し、環境と経済を両天秤にかけることをはじめたのは、産業界でも政府でもなく、環境保護派の方々だったのではないでしょうか?

 最近活躍されている、環境保護派の急先鋒である枝広淳子さんや田中優さんにしても、彼らの論調は、「仕組みさえ変えれば、環境と経済は両立できる」というものです。

 そして、環境で儲ける糸口をつかんだ人々は、さらに声高らかに環境と経済の両立を叫び、それによって大衆は確かに環境問題に目覚め始めましたが、それ以上に二匹目のドジョウを捜す者もいる一方で、乗り遅れたと感じる人々は、地球温暖化がもたらす未来をイマジネーションすることもできずに頑なな心を閉ざしてゆくばかりです。

 私は、環境保護を訴える人間です。だからこそ、もう一度原点に還って、「環境と経済の両立」でなく、「環境と幸せの両立」を訴えなければならない、と改めて感じました。

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2009年3月23日 (月)

うちの花で作ってもろた(^O^)

Dsc_0931   えーと、うちの花だけで花束作ってもらっちゃった(^O^) ちなみに、クリスマスローズとダスティミラーです。

 こいつら越冬ハウスで細々と生きている奴らなので、まだ全然出荷はしておりませんが、ちょっと事情があって、お友達の花屋さんにお願いしちゃいました。けっこう見れるもんですね。それに、6時間もの輸送時間にもかかわらず、彼らは全然元気でした(^O^)

Photo Photo_2  つづいて2枚の写真は、地球を愛する会@月形の最新26号です。今号からイメチェンいたしました。これまではA41枚の裏表でしたが、今号からA4で2枚の4ページとなりました。内容も、これまで温暖化に関するものだけでしたが、今号からは環境問題全般に関して、記事の内容も、子供から高齢者まで、みんなが楽しみながら環境のことを知ることができるものになりました。

 ただ、そのへんの様々な事情から、これまでは毎月発行しておりましたが、今年度は、春、夏、秋、冬の年4回の季刊誌になる予定です。

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2009年3月11日 (水)

考察「生と死について」

 おまたせしました!! ひっさしぶりに、哲学的考察です。最後までお付き合いお願いします!!

 僕たちは生きている。そんなことを考えている生物は人間だけだろう。たとえば、知能が極端に低い生命体で地上が満たされて、有限な資源を奪い合った時、彼らは生存競争の果てに、適正な数に減少するまで淘汰されるか、あるいは、その中から新たな進化が生じるかもしれない。だけどそんなことも自然の成り行き、当たり前に繰り返されてきた、生命の歴史の一ページに過ぎない。人類も同じ道を辿るのだろうか?

 その前に、そもそも僕らは何のために生きているのだろう? 食べるため?---生きるために食べる、どんどんおいしい物を求めてゆく、そこに食べる喜び、楽しみがある。セックスするため?---子孫を残すために、男は女を求め、女は男を求める。だけど、現代に生きる人たちは、「子孫を残すために」との考えだけで異性を求めてはいない。そこに安らぎを求める、愛を求める、または、欲望・快楽を求める。そして、それらが満たされた時、人は幸せを手に入れたと感じる。幸せを実感するために生きている、ということには誰も異論はないと思うし、他にも幸せを実感できる場面は山ほどあって、それはまた、人それぞれ違っている。

 だけど、そもそもの目的はやはり、自らの遺伝子を残すために始まったのが生命の歴史であるし、未来を生きるのによりふさわしい遺伝子だけが生き残ることを許されたのが生命の進化の世界だった。

 

 私たちは、「生」を求める以上、遺伝子の束縛から解放されることはない。自身の欲望から解放されることはない。生き続ける限り、誰かを傷つけ、人間以外の何十倍、何千倍、何万倍もの数の、弱き生命体たちを死に追いやり、貪り食らう、それが「生きる」ということ。

 このように考えてみると、「生きる」ということは何と罪深いことだろう。だから、そんな、生きているだけで犯し続けている罪をほんの少しだけでも贖罪しようと、誰かを愛し、誰かを守り、平和を叫び、時には、自ら犠牲になることを求めるのかもしれない。

 では、そのような罪から永遠に解放される道はないのだろうか? 「死」ぬことでしか、人に救われる道はないのだろうか? 映画やドラマ、漫画、あるいは現実の世界の話でも、誰かを助けるために、家族を守るために、国を守るために、自ら犠牲になって死んでゆく物語に、一方では「狂信者だ、洗脳だ!」と拒否反応を示しながらも、もう一方では、私たちは心打たれ、時には涙する。私たちは、心のどこかで、そんな生き方に憧れているのかもしれない。そんなに風に、「かっこよく死にたい」と思っているのかもしれない。

 宗教にはこんな考え方もある。死ぬこと、それは、「死」して無に帰するというのではなく、「死」して初めて、「罪」や「執着」から解放され、自由を取り戻す。「死」の向こう側に、唯一存在する本当の「自由」、心を全宇宙に解放し、私たちが生まれてきた元の場所に還ってゆくことで、生きているだけで犯し続けているすべての罪から解放される、唯一の道なのかもしれない。

 では僕たちは、死んだらどこに行くのだろうか? 人間だけに都合良く「来世」があるのだろうか? 仏様の世界やキリスト教でいう天国が存在して、死後の世界は今と全く同じ姿で、幸せに暮らしているのだろうか? そんな、都合のいい夢物語を信じて、現実から目を背けるのは、もう終わりにしないか?

 お釈迦様はそんなこと云っちゃいない。お釈迦様は、世の中の無常さ、儚さ、生きることの罪深さを哀れんで、だからこそ、慈悲深く生きることを人々に説いた。

 イエスキリストもそうだ。イエスは、人の心の中にこそ、神がいる、天国があると云った。それこそが「愛」、人が心に「愛」を持って生きれば、この世の中こそが天国になるのだと説いた。

 死んだ後に、来世で救われるために、現世の罪をお金で解決しようなんて、なんでそんな滅茶苦茶な話にすりかえられたのだろうか? 理由はいろいろあるだろうけど、やっぱり、お金中心の世の中で、欲望に塗れた支配者、聖職者たちの、支配のための「宗教」だったんじゃないだろうか?

 じゃあ、死後に本当に待っているのは、どんな世界だろうか? 「無」だろうか? もしかしたら、「無」かもしれない。だけど、誰もそれを実証できない以上、すべてが仮説にすぎないが、今の科学の中で、死んだ後にも残ることのできる可能性があるもの、それは「意識」だと思う。

 肉体を失えば、脳も機能できなくなり、物を考えることもできなくなるが、「意識」だけがエネルギーの流れとなって、宇宙全体に遍在し続けることができるのかもしれない。そして、時間が経過とともに、次第に宇宙と一つになって、その時に初めて、遺伝子の支配から解放され、欲望に縛られず、完全なる「自由」、完全なる「慈悲」、完全なる「愛」の中に溶け込んでゆけるのかもしれない。

 だけどそれでは、この世の中で、「意識」を高め、「精神」を発達させる意味はあるのだろうか?

 こんな考え方もできる。心と体の関係、それはすなわち、意識と遺伝子の関係。互いに共生しながらも、実は対立している。遺伝子は、自らを複写・繁殖することを目的として、「欲望」をエンジンに人間を形成し、「知能」や「心」も発達させたが、それらもすべて遺伝子にとっては繁殖のための手段であった。しかし「意識」にとっては、「意識」を定着・発達させる土台として、「人間」および「脳」が必要であったから、遺伝子を利用して進化させ、肉体を創造させ、人間を創造させ、脳を発達させた。そして、ようやく高度な「意識」を形成することができた。

これはさながら、宗教でいうところの、神と悪魔の関係に似ていないだろうか? 神(意識)は悪魔(遺伝子)を利用して、人間を創造し、この世の中は欲望に溢れてしまったが、神が本当に創りたかったのは「心」であり「意識」であった。

本来育てたかった「心」は、残念ながらその大部分が遺伝子の支配に屈し、世の中は欲望に満ち溢れ、「金」に支配され尽くしてしまった。だが、「心」は完全に支配されたわけではなく、ほんの小さな一滴が、片隅に逃げ込むように、すべての人の心の中に留まり、その最も深いところで繋がりを共有している。それが、ユングの言うところの「集合的無意識」ではないだろうか?

 そして、その繋がりを可能にしているのが、元から全宇宙に遍在する普遍の法則、「量子レベルでは、すべての存在は繋がっている」ということではないだろうか?

 「量子レベル」とは、目に見えない微小な世界とか、科学が形式上定義しているだけであって私たちとは何の関係もない世界、という意味ではなく、すべての存在の根底に存在する普遍の法則である。

 私たちは、すべての人との心の繋がりを取り戻し、長い間、遺伝子に任せ続けてきた心の支配を取り戻すことで、この世の中に、「愛」と「慈悲」に満ち溢れた、「天国」を実現することができるのではないだろうか?

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2009年3月 9日 (月)

びっくりドンキーのアレフ北海道工場見学ツアー

 こんにちは、昨日の話ですが、ハンバーグレストランのびっくりドンキーでおなじみのアレフ北海道工場に見学に行ってまいりました!!

http://www.aleph-inc.co.jp/

 環境に詳しい人なら当然にご存知だとは思いますが、アレフ(びっくりドンキー)の環境に対する取組は非常に素晴らしく、以前から大変興味あったのですが、今回ついに実現いたしました。

 前回の日記で環境の講演会のことを書きましたが、その講演会の主催をしていただいた中和保全組合の現地視察ということで、参加人数は7名と若干少なめで、アレフのみなさんには大変申し訳なかったのですが、日曜日という休日にもかかわらず、何人もの担当者の方が対応してくださいまして、まずは今回の見学に配慮してくださったアレフのみなさんに心から感謝したいと思います。

Dsc_0894  さて、見学のレポートです。当日は春をも思わせるポカポカ陽気の快晴の1日。午前11時前に工場に到着すると、いきなり目に飛び込んできたのは、薄緑色の建物にびっしりと並んだ太陽熱温水器!!

Dsc_0892  工場の中に案内していただき、まずは会議室にて、アレフの環境取組に関するプレゼンテーションをしていただきました。さきほども書きましたが、アレフが環境に対して先進的な取組をしているのは知ってましたが、まさかこれほどまで徹底しているとは!! ほんとうにびっくりびっくり(ドンキー)!!

Dsc_0895  地中熱ヒートポンプやペレットボイラー、バイオガスボイラーなどを利用した総合的なエネルギー管理による徹底的な省エネ(CO2削減)で、CO2排出量を、なんと2020年には2000年の半分にする目標だそうです!!

 ゴミ対策については、たとえば割り箸は竹箸にし、使用済みの竹箸は炭にして土壌改良材などにしたり、生ゴミについては堆肥やバイオガス発電に使用したり、使用済みの天ぷら油については、BDFにしたりと、あらゆる資源の有効利用、再利用、再資源化。

 「冬みずたんぼ」という、農薬を極力減らした農産物の生産にも自ら参加し、そしてこの方法は、単に減農薬に繋がるだけでなく、生物多様性の保全にも繋がる方法だということでした。

 アレフの取組は、まさに本物で、他の会社が、表面的に環境に取り組んでいるふりをしているのとは全く違いました。そして、これほどまでに徹底した環境対策に取り組みながらも、会社としてしっかりとした収益を出し、発展し続けているのは、ほんとうにすごいことです。

 他にもたくさんのお話がありますが、ここではこれくらいにして、あとはみなさんもネットなどでお調べください。

 で、実は僕自身もアレフの社長の考え方には以前から大変影響を受けていました。それはこんな話でした。ニュアンスはちょっと僕なりにアレンジしていますが...。僕は一応、自営業者で何人かの従業員を雇っているのですが、そんな立場でいつも考えていることです。

 僕が今の花作りをしていられるのは、その花を買って喜んでくれる、幸せを感じてくれる人がいるから。特に、僕の花はブライダルで使ってくれることが多いそうで、そういう、誰かの幸せを演出できる花を作っていることが、僕にとっては花を作っていて一番の喜びですし、だからこそ花作りをしている価値がある、僕が存在し続ける価値があると。

 だから、会社とか企業、法人というものは、世の中の誰かを幸せにするために存在すると思うのです。今の資本主義のルールで存在する法人は、営利を追及するのが目的のようで、僕は全くのアマちゃんかもしれませんが、本気でそのように考えてます。

 そして次に、僕の仕事を手伝ってくれている人たちが、その仕事を通じて、自分自身の幸せを実現してくれること、これがもう一つの目的だと思っています。

 そんな風に、誰かの幸せを実現することが、みんなのそれぞれの幸せだと思える世界になったら、きっと、世界からは戦争も経済格差も人種差別も環境問題もなくなり、世界は今よりもずっとずっと素晴らしいものになる!!、と信じて、今日も環境活動を続けていきたいと思っています!!

 ひさしぶりに僕の関連するホームページ紹介しますね!!

地球を愛する会@月形

http://moonflorist.seesaa.net/

僕のブログ(青い芥子の挑戦)

http://moonflorist.seesaa.net/

僕の花のホームページ(平尾花卉)

http://homepage2.nifty.com/AoiKeSi/

北海道地球温暖化防止活動推進員

http://www.heco-spc.or.jp/temp/suisinin/index.html

 こんなもんだっけな?

Dsc_0911  お昼は、これまたアレフ関連の「えこりん村」の中にある「天満食堂」で、「月夜のオムカレー」を食べてきました。それからヨーグルトパフェ。これまた、幸せがそこらじゅうから湧き出しているような雰囲気の優しいレストランととてもおいしいお食事に大満足の視察ツアーでした。

 あ、それから、ウエイトレスさんがまた可愛かったし...。

090308

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2009年2月28日 (土)

講演会「地球温暖化と北海道農業のゆくえ」報告

   みなさん、こんにちは!!
 講演会、無事終了しました!! 観客の数は、何と65名!! すごい!! これまで企画したイベントの中で、最高の人数が集まりました!! 参加してくださったみなさん、手伝ってくださったみなさん、本当にありがとうございました!! 月形町内だけでなく、岩見沢市や三笠市からも来ていただいておりました!! 

 で、肝心の講演会の報告です。65名も集まるはずがないと甘く見ていた私は、資料を50人分しか用意していませんでした。座席は、念のため、70人分用意。出足はそれほどでもありませんでしたが、開始10分前あたりから町内の要人が続々と集結。最前列のわずかな空席を残して、会場はびっしりと埋まりました。温暖化問題、そしてこれからの農業へのDsc_0882影響に関して、非常に関心が高くなっていることを実感しました。
 中和保全組合会長の挨拶、月形町長の挨拶の後(一枚目の写真の大きな顔の人物は月形町長です)、いよいよ大崎先生の講演に入りました。
 地球温暖化の現状、農業に与える影響、世界的な資源の不足、水の不足、土壌の劣化、世界的な農業生産が頭打ちになり始めていることなど、世界のDsc_0884農業情勢が大変厳しい状況になりつつあり、今後ますます厳しくなっていくことがわかりました。
 そして次に、そのような予測は欧米ではすでに十分に認識されており、危機を乗り越えるための対策もすでに始まっていること、風力、太陽光、地熱、バイオマスなどの自然エネルギーの取組、ドイツのユンデ村などに見られる持続可能な農業モデルの試みなどが紹介され、さらに、北海道においても、上川の下川町などにおいて、環境モデル都市としての取組が始まっていることも紹介されました。
 そして、私たちの北海道は、持続可能な社会を創ってゆく上で、自然資源に恵まれており、最も可能性に溢れていること、しかしそれと同時に、今そのチャンスを生かして行動に移さなければならないことを訴えられ、講演を締めくくられました。

 以下は私の感想です。
 持続可能な社会を実現するためには、食糧とエネルギーを自給するとともに、資源をいかに有効に使い、あるいは循環させることが重要です。また、多様な農業形態(産業形態)が有効に機能することも重要な点です。そのためには、自分の町の資源、自然エネルギー、気候、土壌、人的資源などを十分に把握し、また、持続可能な社会というものには、たった一つの答え、たった一つの方程式があるのではなく、その町その町に合ったものを考え、創り上げてゆく必要があります。
 このような過程には、それなりの資金も必要ですが、それよりも地域に暮らす人々の叡知を結集し、自分達の望む社会(農村あるいは地域)を自ら建設してゆくことこそが最も重要なことではないかと思います。
 昨年から続いている金融崩壊は、資本主義社会の終焉だと考えています。労働や生産行為よりも、お金が重視されてきた社会から、今こそ私たちは離れるべき時だと思います。
 これから私たちが築いてゆく社会は、グローバリゼーションよりもローカリゼーション、お金よりもコミュニティ、トップダウンよりもボトムアップ、法律や命令よりもコミュニケーションやダイアログ、そして、ローカルコミュニティが繋がり合うことによって全世界が繋がり合う、本当の意味でのネットワーク社会ではないかと思います。
 今回の講演会が、きっと月形町の将来のための大切な一歩になったと思います。どうもありがとうございました!!

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