2023年に考えた事
こちらへの投稿はなんと約5年ぶり!! 誰も読んでくれないかなと思いつつ、私もずいぶん年老いてしまって、そろそろ人生も納め時かなと。何か人類の未来に貢献したいなという思いは持ち続けています。
地球について、人類の未来について、2023年に考えたことを文章にしてみました。
僕が大学生だった40年前、「地球はだめだ、人類は滅びる」とか言うと、「宗教だ、カルトだ」と避けられた。今の時代に「地球はダメだ、人類は滅びる」とか言うと、「地球温暖化かぶれだ」と避けられる。環境危機から目を背け、楽しい現実の世界に浸る方がいいのかなって思う時もあるし、今の僕は実際そうなっちゃってる。そしてそれは、環境危機について深く考えれば考えるほど、絶望的な未来にしか辿りつけないからかもしれない。
皆がそれぞれにできることをやっているだけでは、温暖化を止めることはできないことはもはや明らかだし、また、世界がいろいろな形で取り組んでいる温暖化対策は、温暖化を遅らせる効果は期待できるが、完全に止めることはできないばかりか、根本的な問題を何も解決できない(根本的な問題とは、増え続ける世界の人口と、それに伴うエネルギー、資源および食糧の不足、さらに地球温暖化がこれに拍車をかけること)。そして、この根本的な問題が解決できないのは、簡単に言ってしまえば、その問題が、人類が生命体であるがゆえに持つ根源的な問題であり、言い換えると、遺伝子が自己の増殖を目的としている以上、逃れようのない宿命であるから。ここが一番説明が必要で重要なPointであり、詳述する必要があるのだが、それを理解していただくためには、またまたすごく長い文章を書かなければならないので、ここでは省略する。
ただ人類は、過去において、何度も大きな変革を成し遂げてきた。2度の世界大戦を経験し、奴隷制度を捨て去り、人種差別をやめ、男女は平等となり、他の生命体をも保護しようとしている。そう、今の我々には想像もできない、環境危機を乗り越えることのできる劇的な進化が、この先の未来に起こり得るかもしれない。だけど、過去の変化と、今回の危機との違いは、過去のものは、人類が繁栄してゆく中で、ある程度余裕ができたからこそ成し得たことである。今回の危機を乗り越えるためには、俗的な表現をすれば、貧富、性別、国家あるいは人種に拘わらず、皆が一様に「我慢」しなければならなくなる。だけど、その我慢できるレベルは、人によって全然違う。夏暑いのを我慢する、冬寒いのを我慢する、娯楽、スポーツ、ドライブや旅行を我慢する、贅沢な食事を我慢する、一軒家に住むのを我慢する、おやつは禁止、食事は1日2食まで、私有財産の制限、子供の数は1人まで、人生は70歳まで、そう、だけどその我慢できるレベルは人によって全然違うし、暮らす国や地域、その人の裕福さによって全然違うのだ。ここではっきり言えることが1つ、金さえあれば何でも手に入る資本主義の元では、地球温暖化は止まらない。だけど、もう一つ、資本主義は生命体の本性が具現化したものであり、たとえ形式的に資本主義を放棄したとしても、生命体の本性を変えることはできない。
人類が辿る未来はこんな感じだろうか。エネルギー、鉱物資源、食糧などが不足し、国家レベルの奪い合いからの戦争。温暖化のさらなる進行にもかかわらず、危機に直面する国々を切り捨てる先進国の自国第一主義。戦争に明け暮れ、人々は疲弊し、このままではいけないとどこかで気づくだろうが、その先でどんな未来を築けるだろうか。では、こんな未来はどうか。増え続ける人口を抑制するために、子供の数は1人まで、人生は70歳まで、旅行の禁止、エネルギーの消費を抑えるために一軒家の禁止、集団生活、すべての贅沢の禁止、私有財産の禁止、それで地球は守られたとして、それが本当により良き未来なのだろうか? あるいはこんな感じはどうか。人類自身による統制は諦め、AIに委ねる。その結果の未来はというと、上のパターンと同じようなものだろうか。未来学者や環境活動家は、人類の危機、地球の危機を訴えかけるが、彼らの理想とする、危機を乗り越えた後の世界はどんなものなのだろうか。一方で、何もせずにただ流されて生きることが正しいことだとは決して思わないが、結果に何も期待できない中で闇雲に努力できるほど脳天気な人間でもない。素晴らしい未来に向かえる道が本当にあるのだろうか。これからも頑張って思考してみたいと思います。最後まで読んで下さった方、どうもありがとさんです。