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2006年1月26日 (木)

愛について語る2

dscn2451  わずかな読者のみなさん、こんにちは。今日は愛の第2話です。前回の「愛について語る1」で、私個人的にはかなり納得できるところまで追求できたかなと考えていたのですが、つい先日、飲食店勤務の女性に「愛」について意見を求めたところ、「優秀な遺伝子を持っている男の子供を産む事」という回答でした。私は愕然としました。彼女は20歳過ぎなのですが、これは世代の隔絶なのだろうか(最近の若者はこういう感じなのか)、それとも男と女の違いなのだろうか、私が20年間も悩んできたというのに、彼女はすでに答えを持っているとは....。だけども、自分の遺伝子を、最良のパートナーと交わらせることによって、さらに優れたものに発展させてゆく、これが「愛」だと感じるのだとすれば、私のような若輩者から見れば、彼女はすでに神の域に到達していると考えざるを得ない。それとも、やはり女性は男性よりも「神」に近い存在なのだろうか?

 「神」の愛というのは喩えて言えば「太陽」のようなもので、すべての生きとし生ける物に平等に、しかも一方的に与えられる、そして決して見返りを求めない、それが本当の「愛」であると伝道者に教えられたことがあります。ところが先に書いた私の考える生物の「愛」は、自分の遺伝子を残すこと、すなわち男性においては自分の遺伝子を女性に与えること、女性においては男性の遺伝子を受けることということになってしまいます。だけどここで考えてみましょう、人間を含むすべての生物が「神」によって与えられた生命だとすれば、我々生物の愛は、当然「神」の愛とは違って然るべきだし、すなわち、与えられた生命を正しい方向に発展させてゆくことが究極の目的であり、「愛」であっても矛盾はないのではないでしょうか? とすると、私達の生命に当初から目的を持たせているのだとすれば、今度は「神」という存在が非常にエゴイストな存在ということになりますね。

 このまま進んでも、堂々巡りになりそうなので、今日はここまでにしますが、この次は、自分の中にあるエゴイストでない感情「自己犠牲」について考えてみたいと思います。「愛」については現在のところ、「エゴイスト」なもののように位置づけられました。だけども私の中には、全くエゴイスチックでない感情である「自己犠牲」的な感情が存在します。そして、その感情を発揚することによって、心に感動を覚えます。自分の遺伝子を残すことを目的としながら、しかしその目的と反する自分を犠牲にして他者を助けたいと思う感情、そういう感情がなぜ存在するのか、考えてみたいと思います。

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