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2006年3月21日 (火)

一寸の虫にも五分の魂?

 「一寸の虫にも五分の魂」という諺がある。「どんなに小さく弱い者でも、それ相応な思慮や意地を持っているものだということ。小さくても、侮(あなど)れないということ。」というふうに、最初に検索したサイトに書いていた。だけど僕は子供の頃、「小さな虫にも命があって、みなそれぞれ一生懸命生きているのだから、意味も無く殺してはいけない。」という意味として、親や教師に教わった憶えがある。「僕らはみんな生きている。」の歌の世界だ。

 その後、時がたって年輪を刻んでみると、僕たち生物というものは、互いに助け合って生きている部分もあるものの、しかし他の生物の命を奪わなければ生きていくことができないことを知った。それを食物連鎖という言葉で教わったものだ。しかし今思い返してみると、食物連鎖のピラミッドの頂点に人間がいたはずで、そのピラミッドの形が示す通り、ピラミッドの上に位置する生物ほど、その数は小さくなければならない。賢明な読者の方は、もうこの時点で今日僕が何を書きたいかおわかりだろう。

 そう、僕たち人間は、健全な社会の中で、安心して生きてゆけるために様々な社会のルールを作ってきた。その中で、上記のような「僕らはみんな生きている」思想も出来上がったわけだが、だけども実際は、他の生物に比較して、人間の生命だけがあまりにも重きを置かれるようになった。もちろん今の安全な社会実現のためには仕方のない流れだったと思う。また、医療の発展は、自身の生命を維持したいという欲求と、人間の生きる目的ともなっている知的好奇心の実現と、その重要な2つのファクターを達成してゆく上での当然の結果であるし、それらを否定するつもりは全くない。だけども、それらを肯定したとしても、今ここに解決しなければならない決定的な病魔が進行しているのも事実である。人口増加による食糧の不足、水の不足、エネルギーの不足、資源の不足、森林の破壊、砂漠化、それに伴う地球温暖化の進行(今回は人口問題にスポットを当てているので、このような流れの議論をしているが、特にアメリカおよび日本等の先進国による無駄な温室効果ガスの排出を忘れているわけではない)。

 人間偏重主義の中で、数を増やし続けてきた人類。だけど、今曲がり角に来ている。キリスト教は、人間だけが神に祝福された尊い存在だと訴える。避妊や中絶は神に対する罪だと訴える。だけど、実際そうだろうか? 人間の命だけがなぜそんなに尊い、価値のあるものなのか? 人間偏重主義ではない、地球全体の生命圏の維持を最重要事項と考える新しい価値観、新しい宗教観が今の人間には必要ではないかと思う。そこにはもはや今までの、人間の味方だけをする神様は存在しない。

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