« 一寸の虫にも五分の魂? | トップページ | 人類の未来について3 »

2006年3月24日 (金)

人の生きる意味1

 今日は観点を変えて、人の生きる意味について考えてみたいと思う。かなり哲学的な内容なので、ちょっと意味の通らないところがあったりするかもしれないが、あくまで僕個人のこれまでの人生経験がベースになっていることをご理解いただきたいと思う。

 僕は20歳を過ぎた頃、その頃に僕自身の人生の大転機となる非常に大きな出来事があったわけだが、そしてそのことを通して人生観がまるっきり180度変わってしまったわけだが(その詳細については、公の場で書ける内容ではないので、控えさせていただきたい)、それ以降、僕自身も僕の周りで起こるすべての出来事も、何もかも変わってしまった。何が変わったかをいくつか列挙する。まず、僕がやりたいと願うことは何もかも実現するようになった。普通は偶然でありえない、と思えるようなことが何度も何度もくりかえし起こり、通常では信じられないくらい幸運な人間と思われるようになった。苦労する、という感覚が僕の中から消失して、何もかも楽しいと感じるようになった、などだ。とりあえず、今思いついたことをいくつかを挙げたが、そういうちょっと不思議な出来事が最近になって、さらに強くなった。そういうものに対する私自身の答えとしては、自分自身の意思の強さや、自分個人の利益よりもまずは公の利益を優先すべきという考え方や、身の回りに起こるすべての出来事は自分自身に原因があって、そしてその課題を解決することで自分はさらに成長できる、という考え方や、いろいろ自分で理由づけをして、基本的にはそれらは大筋では間違っていなかったが、最近になって、それらをすべて説明づけるものに出会うことができた。それが野口嘉則氏のブログ「幸せ成功力を日増しに高めるEQコーチング」だ。なぜこのブログがすごいかというと、今まで何か不思議なことがあると、または科学で解決できない課題に突き当たると、または人生の深い窪地にはまり込んでいる人に対して、それらを説明するために過去の聖者たちは、必ず神と仏とか仮定の中の存在を作り出して、最後はすべての責任をそれらに押し付けることで、そして自身は「その使者」という存在ということにして、うまく丸め込んできた。もちろん、欲望に渦巻いた人間の長い歴史の中で、宗教の存在が大きな意味を持ち、今日の平安な社会を築いてきたのも事実である。しかし、科学の発展ももはや重箱の隅をつつくくらいのものしか残っていない現在の世界においては、矛盾に満ちた世界を生きる現代人の心を癒すために大いに役立ってはいるが、しかし、今日の現状を正確に説明できる宗教などもはや存在せず、信者たちも多くの矛盾を感じながらも心の平安を求めて彷徨っているのが現状である。そんな中で、上記のブログはそういう嘘に頼ること無しにすべての哲学的な問題に答えを与え、僕のこれまで考えてきたこともすべて的確に説明してしまった。

 それで、今日の本題の「人の生きる意味」であるが、僕たちは生きていく上で、その目的というものをそれぞれ持っている。たとえば、大リーガー等の職業を目的にする人や、誰かのために尽くしたいという献身的な目的の人など、みな人それぞれである。また人によっては、社会的にあまり好ましくないことを目的にしている人だっているだろう。それらは、それぞれ個人にとって、最も重要なものであるのは当然だ。だけどもそれに加えて、私たち人間は、個人個人の目的のそのさらに先に、人間として、人類として、さらには地球に生きる生命の支配者として、その「生きる意味」が存在するのではないかと思うのだ。本題に入る前に、前置きに随分と時間を費やしてしまったので、読者のみなさんもお疲れと思うので(私自身も思考力の低下が見られるので)、その2で続きを書かせてもらいたいと思う。最後まで読んでくださって、どうもありがとう。

banner_03

ブログランキングに参加してみました。気が向いたら、クリックしてやってください。

 

|

« 一寸の虫にも五分の魂? | トップページ | 人類の未来について3 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/162477/9242109

この記事へのトラックバック一覧です: 人の生きる意味1:

« 一寸の虫にも五分の魂? | トップページ | 人類の未来について3 »