« 2006年3月 | トップページ | 2006年5月 »

2006年4月29日 (土)

高木善之さんの講演会1

 今日、札幌で行われたネットワーク「地球村」の高木善之さんの講演会に参加してみました。講演内容に関しましては、たとえほとんど読者のいない私のブログであっても、あまり詳しく書いてしまうのはよろしくないと思われますので、私の感想を書きたいと思います。

 私がネットワーク「地球村」の会員になったのは、ほんの一ヶ月前のことです。このブログを始めたきっかけのようなことを以前にも書いたと思いますが、地球の環境がもはや危機的な状況に直面しており、今何か行動を起こさなければ、地球は人間の住めない星になってしまうという思いから、3ヶ月前に「美しい地球を子供たちに」、「人間が価値観を変えなければ、人類存続の道はない」をメインテーマとしたブログを始めました。そして、ブログを書き進めてゆくうちに、もっと専門的で確実なデータが必要だと感じ、最近の地球環境に関するホームページや書物を読み進めてゆくうちに、ネットワーク「地球村」に辿りついたというわけです。

 「地球村」の会員になって、高木善之さんの出版されている本などを読んでみると、表現やアプローチ的なものは違っているものの、私が最近考え始めたことと非常に似通っているんです。私は決して高木さんからパクったわけではないのですが、「美しい地球を子供たちに」とかは、まさに表現も全くそのままで、これはいったいどうゆうことなんだろうと、自分でも納得ゆかないので、直接話を聞いてみたいと考えたわけです。

 講演会の参加を決めた段階で、さらに高木さんに関する詳しい情報を調べてみると、出身も同じ大阪、出身大学も同じ、その後の人生はもちろん全く異なりますが、ただ高木さんの人生の転機になっている年代と、私が経験してきた人生の転機になった年代がほぼピタリ重なっていることがわかり、そこで完全プラス思考主義者の私としては、何かそこに運命的なものがあるのではないかと考えたわけです。

 高木さんに関する予備知識のない方にとっては、以降の私の感想はよく理解できないかもしれませんが、その際には、ネットワーク地球村のページをご覧下さい。高木さんは20代の頃の事故による臨死体験を経験したことにより自分の人生の目的を見出されたそうです。私は宗教的な解釈は嫌いですから、次のように考えます。臨死というのは、肉体が最大の危機に陥っている中で、体の再生機能を最大限に高めなければならない、そんな時に怪我の痛みなどに脳の機能を奪われていてはいけない、そこで、脳内ではありとあらゆる脳内麻薬が分泌され、脳はありえないほどの幸福状態に達するのではないかと思います。そこで、夢とはとても思えないほどの現実味のある夢を見るのではないか、それは人によって様々でしょうが、神様が出てきたり、天使が出てきたり。その際の凄まじいばかりの幸福感を味わってしまった人にとっては、現世の幸福など取るに足らないもの、また現世の苦しみも取るに足らないものになるのではないでしょうか? その結果、人によっては伝道の修行に出たりとか、高木さんのような活動をするような方も現れるのではないかと思います。そういう幸福体験というと、たとえばアポロのパイロットが宇宙から地球を見た時の感動から伝道士になったり、宗教家が荒行を続ける中で神体験をしたり、とその幸福感の大きさは臨死体験には及ばないかもしれませんが、通じるものがあるのではないかと思います。で、私の本意ではありませんが、宗教的な解釈も一応付け加えます。臨死体験をする人間というのは、大きな使命を持って生まれてきたのです。その人は本来多くの人に救いの道を示すべくして生まれてきたのに、一向にその重要な使命に気づこうとしない、そこで臨死体験を通じてその使命に目覚めさせるわけです。

 高木さんは、人間の進む方向を正すべき使命を与えられ、その大きな意思に従って行動されているわけです。とすると、私を含めて今日講演会に参加した方々も、大小様々でしょうが、何らかの使命を持っているはずです。その使命に通ずる話が「虹の天使」というお話になると思います。これは、各地の先住民族に伝えられる伝説だそうですが、簡単に言うと、人類に危機が近づくと世界各地に「虹の天使」が現れて、正しい道を示す、というようなニュアンスだったと思いますが、この話自体は決して目新しい話ではなく、聖書などにも書かれているし、つい1999年頃にはそれを装って数え切れないほどの新興宗教の教祖が無責任な予言をし、ことごとく外れては消え去ったのは記憶に新しいと思います。だから私は宗教的な話をするのは嫌いですが、だけど私は、ここ最近私の遺伝子に働きかける何かがあることを感じます。

 ただ私の場合は、過去に何度も高木さんのような道を歩まないかと誘われていながら、現世の楽しみから逃れることができず、今日に至ってしまった経緯がありますので、やはり今の私に残された使命といえば、このブログを通じてほんの一握りの人であろうと人間の生きる意味を示してあげること、それから私の回りの人たちに地球の実情を伝えるための地域的な活動、などではないかと今は思っています。夜も更けてまいりましたので、続きは後日ということで。いっしょに地球の未来をかんがえましょう!!

banner_03 クリックお願いします!!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年4月24日 (月)

雪が解けるとゴミの山

Dscn2745  例年よりも2週間ほど遅れていますが、月形の雪もかなり少なくなりました。この頃になると、非常に悲しい光景が道路沿いに見られるようになります。我が家は国道275号線に面しているのですが、雪が無くなって地面が出てくると、道端は空き缶やら、コンビ二弁当の袋やら、アダルト系の週刊誌やら、そこらじゅうにゴミが捨てられています。冬の間、雪に隠れてしまうのをいいことに、ドライバーが窓から投げ捨ててゆくのです。それは決して冬だけのことではなく、たとえば普段私が車で道路を走っている時に、目の前の車が空き缶を投げ捨ててゆくのも珍しいことではありません。これが冬になると、雪に隠れてゴミがどんどん埋まってゆくために、春になるとゴミの山が現れてくるというわけです。本州でも窓からゴミを投げ捨てる人が全くいないというわけではないでしょうが、北海道だからなのか、田舎道だからなのか、日本人のモラルの低さには全く驚かされます。

 さらに近年、私の家の奥は全く人の住んでいない山なんですが、車の後ろに黒いゴミ袋を山のように積んだワゴン車が時折入ってゆくのです。そして還りは空っぽで帰ってきます。何をしに来ているかわかりますよね。家庭のゴミを、ごみが有料化になってお金を払いたくないからなのでしょうか、行楽に来た帰りにわざわざ山の奥に捨てにゆくのです。電化製品であったり、廃車にした車であったり、日本人って本当に情けない、私は日本人以外のことをそんなによく知っているわけではありませんが、全く日本人の常識はどうなってしまったのでしょうか?

 こういうことを論じること自体、全く情けないことなのですが、表面的な解決手段としては、ゴミ処理に関する費用を企業に負担させ、私たちはその費用を購入時に支払い(そうすることによって新製品の値段が高くなるので、節約を考えるようになるし)、廃棄する際には逆にお金が戻ってくるようにすれば、かなりの部分で解決するのでしょうが、それ以前の問題として、ゴミのこととか、地球環境とかに関する教育をきちんと学校で勉強してゆくことによって、自主的に地球環境を維持してゆくことの重要性を考えるようにならなければならないと思います。すなわち、リサイクル費用の負担がないから、お金が戻ってくるからゴミをきちんと処理しよう、ということではなくて、お金を払っても地球環境を大切にするために積極的に関わってゆこう、とならなければ本物ではないと思うし、そのように考えますと、やはりこれまで経済最優先、お金儲け最優先で来た日本の国のあり方、環境問題を全く無視してきた日本の国のあり方を根本から考え直し、学校教育および社会の姿勢から正してゆかなければ、環境問題の真の解決はないのではないかと思います。

banner_03

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年4月21日 (金)

人の生きる意味3

 今、飯田史彦の「生きがいの創造」という本を読んでいました。こういうありがたい本を批判いたしますと、お叱りを受けそうですが、私にはやはり輪廻転生というのは最も認めがたいものです。もちろん、多くの方にはこのような本が救いにはなるのでしょうが、逆にこのような宗教的な概念を持ち出すことによって、反発を強める方も多いことでしょう。それよりも私が思うのは、生きがいを論じるに当たって、なぜ輪廻転生のような宗教概念を持ち出さなければならないのか? わざわざそんなものを用いなくても、人間の生きがいを語ることは難しくないと思うのですが....。

 私たち生物は、楽しいことがあると楽しいと感じ、幸せなことがあると幸せだと感じる。それはなぜかと言えば、簡単に言ってしまえば、脳の中で幸福を感じるホルモンが分泌されているからですよね。セックスをすると気持ちいいのは、実感としては性器の辺が気持ちいいと感じてはいるけど、実際には脳内ホルモンが分泌されて気持ちいいわけですよね。ということは、私たちはセックスをしたら気持ちがいいということを、思春期以降に覚えてセックスをしたがるわけですが、だけど本当はセックスをしたら気持ちがいいというのは初めから遺伝子にプログラムされていて、しかもそれは自分自身(人間自身)が作ったシステムだったんです。セックスというか生殖活動というのは、例外を除いてほとんどすべての動物や植物が行っていて、そのすべてで気持ちがいいと感じるホルモンが分泌されているわけではないだろうけど、たとえば馬だって牛だって犬だって猫だって、ホルモンが分泌されている。じゃあなんでそういうシステムにしたのだろうかって考えたら、生殖活動をすることで子孫を残さなければならない、それが生物にとって最も重要な行動だから、すすんで生殖活動に励ませるために、それが一生で最も気持ちのいいことのようにその生物自身がそのシステムを作ったんじゃないでしょうか? ということで、私たちは気に入った異性に対して恋をし、愛を感じ、そしてセックスをしたいと考えます。だけどその時、愛とセックスの間には「壁」を感じることがありますが、だけど本当はそんなことを感じる必要は全くないと思います。だって、恋も愛もセックスも、すべて遺伝子に書かれている、純粋な行いなのですから。

 本題に戻ります。私たち生物の本質は自身のコピーの作成です。コピーの作成という最も重要な使命を果たすことを忘れないために、セックスを気持ちいいものにしたんです。コピーの作成が生命の誕生の最初から存在する最大の目的で、自分自身の個体の存続はその次です。そう、自分の子供を作り、子供を育てる、これが最初から存在する究極の目的であり、喜びであり、そこに人生の中心を据えれば、本当は何も迷う必要はない、変にあれこれ複雑なことを考えて、社会のルールだとか、学歴だとか、地位とか、名誉とか、何よりもお金に惑わされて、人間は何が本質かわからなくなってしまって、ついには宗教という御伽噺まで作り出し、救いを求めようとしたが、さらにはその宗教までもがお金儲けの材料になってしまった。飯田史彦さんは、「宗教の本質はこうだよ」と解き明かすことで、複雑に迷ってしまった現代人には大いに力になっているのかもしれないが、だけど本当の本質は私の書いた通りで、「子供のために」、そして現在の地球の状況を考えれば、「美しい地球を自分の子供たちに」という本当の遺伝子の目的に立ち返れば、私たちは何も迷うことなく、本当の生きがいに向かって生きることができると思います。

 次に、私たちの生命を育んだものは何かといえば、太陽から一方的に与えられる弛まない光のエネルギーと、地球からも一方的に与えられる熱エネルギーと様々な生命の構成物質ですよね。すなわち、地球も太陽も決して見返りを求めたことはない、常に一方的に与えられる「愛」のようなものであった。ならば、私たち生命の本質もやはり、「愛」であるのはないでしょうか? だから、私たちの生き方は、見返りを求めず一方的に与える「愛」を本質に考えて行動し、そして子供たちのために生きることを生きがいとして行動すれば、自然と私たちの人生は良き方向へと展開するだろうし、脳内では常に幸福ホルモンが分泌されて、「幸せ」と感じられる人生を送ることができるのではないかと思います。

 しかし今、私たちが自分自身の子供だけの幸せを考えるのは難しいくらい、地球は大変な局面を迎えています。今を生きる私たちが地球の現状を十分に把握して、急いで対処してゆかなければ、これからの子供たちの地球は非常に住みにくいものになってしまいます。毎回結論が同じになってしまって恐縮ですが、美しい地球を子供たちに残すために、みんなで考え、行動しましょう!!!

banner_03

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年4月17日 (月)

人の生きる意味2

 今日は、人の生きる意味1 の続きです。今日は思い切って、断定的に書きます。お許し下さい。

 すべての生物には生きる意味があると思います。だけども人間以外の生物は生きる意味を深く掘り下げて考えたりしません。考える必要がないからです。幸せとは何か?、生きる意味とは何か?、それは遺伝子に書いてあって、他の生物はそれを忠実に実行できるからです。また、それに逆らって生きることはできない、なぜならば彼らは支配者ではなく、人間によって支配されているからです。地球を支配している人間だけが最高の知能を発達させ、その結果「生きる意味」を考えるという権利というか債務を持つことになったのです。

 人間の遺伝子にも、生きる意味は書いてあります。それはしかし、最終形の遺伝子であるがゆえ、非常に複雑になっています。最も原始的なものから列挙しますと、まずは自身のコピーを作ること(子孫を作る)、自分自身を個体として存続させること(自身の生存)、自分の家族を守ること、自分の血族を守ること、自分の民族(日本民族)を守ること、世界の平和を願うこと、地球の存続を願うこと。以上がすべてではありませんが、遺伝子に書いてある本質的な部分はこのようではないかと思います。その中で、それぞれの目的は互いに共通できる部分もありますが、相反する部分も現れてきます。たとえば自分の子孫を作ることばかりを目的にしてしまっては、反社会的な行為に及んでしまいますし、自分の家族や民族を栄えさせるために、他者を不幸にしてよいわけではありません。日本が栄えるために、発展途上国を犠牲にしてよいわけではありません。

 自分個人の利益のためにだけ生きることが悪いことだとは決め付けられません。だって、そのことだってちゃんと遺伝子に書いてあることなのだから。だけども今、より大きな目的を持って生きるようにと、目に見えない大きな力が働いていることを感じます。それは人間の数がこんなに多くなってしまって、オゾン層破壊や地球温暖化、食糧の危機と水の危機、自然環境の喪失、モラルの崩壊、利己主義に生きる支配国アメリカ。それらの地球規模での危機が、私たち個人個人の遺伝子に働きかけ、人類存続のために動き出すようにと命令を送っているのです。それは今に始まったことではありません。だいたいにおいて世紀末というのは危機を訴える預言者なり科学者なりが現れるのが通例となっています。それはなぜかというと、人間はみな、そのような立場になる可能性を持っており(遺伝子を持っており)、だけどもそれが動き始めるかどうかは、個体の意思を超えた働きかけがあるのではないかと思います。

 私は人を指導する立場に立ったことのない人間でした。だから、今までそういう仕事をしたいと考える方の気持ちが全くわからなかった。だけども、少しわかるようになってきました。そこには、見えない遺伝子の力があったんだと。たとえば学校に通っていたころ、誰かが必ずクラス委員長になりますよね。サル山でも必ずボス猿がいる。蜂には女王蜂がいる。単純に考えれば力関係がどうだとかと言ってしまえばそれまでですが、それぞれのグループなり種族なりを導いてゆくために最もふさわしい個体に遺伝子が働きかけるのではないでしょうか? 別に神とか仏とかそういう特異な存在ではなく、遺伝子の共通する部分、集合的無意識というようなものではないでしょうか? たとえばバッファローが大河を渡る映像を見たことがありますか? 必ず最初に渡ろうとする命知らずの奴がいて、彼らの犠牲の上に群れは生き残ることができます。皆がびびって渡れなければ、群れは永久に渡れませんが、絶対にそうはなりません。そこに、個体を犠牲にしても群れを生かそうとする集合的無意識の働きがあるのではないでしょうか?

 地球の危機がすぐそこまで迫っている中、多くの人はなぜ安穏とした毎日を送っていられるんだろうと不思議に思っていましたが、上のような考えが浮かんできました。自分自身にも実際にきっかけがあって(物理的な働きかけがあって)、より大きな意味を持って生きるようにと遺伝子を目覚めさせられました。だから、このブログを読んでくださる方は、当然に何らかの意識を持っていらっしゃる方々だと思うし、無意識のうちに遺伝子が目覚めるきっかけを捜していらっしゃるのではないかと思います。

 ただ人それぞれ、目覚めるためのきっかけのレベルは異なっているので、その判断を誤ってしまうと、目覚めるどころかさらに頑なになってしまうのです。私たちは慎重にならなければならないが、だけどもうあまり時間が残されていない、だから私のような一市民まで動員されたのではないかと思います。

 取り返しのつかない状況になってから、「だから俺の言う通りにしておけばよかったでしょ」っていうのは誰にでもできるけど、最も無責任でずるいやり方です。だから私は、変人扱いされたらどうしよう?、と庶民的な心配をしながらも、このブログを始めました。

 科学的な裏付けが全くないくせに、よくこんなにも断定的に書けるものだと思います。もちろんほとんどが仮定の話ですが、そんなに間違ってないと思います。

banner_03

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年4月10日 (月)

幻の滝

Dscn0352  実は、私の土地には幻の滝があります。この滝は、雪解け頃の今この時しか見ることができません。春から秋にかけては、熊笹が鬱蒼と生い茂り、滝まで到達するのは困難であるし、また、水量が十分でないため、あまり観賞価値はありません。また、真冬の間は雪で完全に閉ざされるため、見ることはできません。この写真は4年前の4月9日のものです。実は今年は大雪のため、まだ雪で覆われています。また、3年前に、滝を年中観賞したいと思い、熊笹を刈って、滝まで道を付けたことがありました。ところが、おととしの台風で大きな樹木がなぎ倒されたため、滝まで到達するのはさらに困難となってしまいました。したがって現在では、早朝の雪が硬く凍りついた朝だけ、そしてほんの数週間しか見ることのできない幻の滝、この滝を私は「平尾の滝」と名づけています。

 世界中から森林が無くなり続けています。私の裏山など取るに足らないものですが、保護したいと考えています。したがって、もう道を付けることはありません。幻の「平尾の滝」は、永遠に幻になるかもしれません。今日はこんなところで....。

banner_03

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年4月 6日 (木)

スカビオサ

Dscn2730  今日はスカビオサをビニールハウスに定植しました。約2週間遅れです。

 うちの作っているスカビオサは、学名はScabiosa atropurpurea(アトパープレアと読みます)といって、一般によく知られているScabiosa caucasica(コーカシカ)と違って、花が八重咲きになる品種です。ちなみに、写真を載せてみます。

100olympp1010290_p1010290  2番目の写真が、コーカシカ種です。一応コーカシカ種も去年から作っておりますが、まだ一流の品質には達していないため、あまり宣伝していません。こちらの方が一般的に高値で取引されていますが、写真のように花びらが非常に特徴的で大きく、あまり丈夫な花びらでないため、日持ちの良いコーカシカ種を作るのはなかなか難しいです。

Scabilp3  3番目の写真がアトロパープレア種です。同種は色のバリエーションが豊富で、うちが作っている色だけでも、白、茶、黄、青、赤、紫、そして写真のライトピンクなどがあります。コーカシカ種は青と白しかないのに比べ、アトロパープレア種は他にもまだまだ新しい色合いの花が出てきています。したがって、用途の幅も広く、また中の小さな花びらまで残らず咲くので、花全体の観賞期間は長く、需要は高まっています。本種の品質に関しては、大変自信を持っております。高品質の秘訣に関しては、ここでは書けません。企業秘密です。あ、それから、写真のライトピンクと紫の品種は私のオリジナル品種です。まあオリジナルといっても、既存の品種からきれいな色合いの花を選抜し、自家採取しただけのことですが。

 今日定植したスカビオサは、早くて6月下旬頃から出荷できます。

banner_03

ブログランキングに参加してみました。気が向いたら、クリックしてやってください。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年4月 4日 (火)

RKBとメディア

 時事ネタはあまり好きではありませんが、RKB社員の犯した集団強姦事件について。メディアの方々は、だいだいにおいて、自分たちの関係者以外の方の犯罪行為や犯罪でないにしても非人道的な行為や非社会的な行為に対しては非常に厳しい論調で、時には国家にとってもっと重要な案件が山積しているというのに、徹底的に(ある場合には自殺に追い込むまで)、叩いて叩いて叩きまくるというのに、自分たちの問題に対しては、「ガキの使いじゃねえぞ!!」っていうくらいに甘すぎて話にならない、と思ってるのは僕だけでしょうか? たとえば何だ?って言われても、僕は評論家じゃないんで、すぐに例は出てきませんが、他の誰かが書いてくれているでしょう。

 僕のメディアに対する理想的な位置づけとしては、時には国家に楯突いて、命を落とすようなことがあっても正義を貫き通す、そんな最も善なる存在でなければならないし、そうであったと思っていました。NHKのプロデューサーによる着服、これはまだ個人のレベルの裁きで許してもよいかと思えた。たとえば昔テレビ朝日が焼却場近くの農産物のダイオキシン濃度を偽って報道したこともあった。だけどこれも、農家にとってはたまったもんじゃないが、日本の誤ったゴミ処理の問題にメスを入れたくて、敢えて偽造してでも国民の関心を集めたかったのだとすれば、そこには幾ばくかの正義が感じられる。だけども、今度のRKBの問題は、そんな余地の残される問題ではない。

 はっきり言って、個人の問題ではない。RKBはメディアを続ける資格はない。正義に悖ったメディアのモラルを失った会社だから、こんな社員が育ってしまう。役員総辞職だけでも済まされないと思う。RKBは解散すべきだろう。報道を続ける資格を完全に失ってしまったと思う。だけどもおそらく、自分らの教育が悪かったからとかはとりあえず言うだろうが、結局は個人の問題で済ますだろう。事の重大さが全く理解できないだろう。なぜなら、彼らにとっては、正義と真実よりも、金と名誉の方がずっとずっとはるかに大切だからである。

 以前から、日本の将来を考えた報道や番組を作らずに、視聴率を優先して馬鹿な番組ばかりを流してきた無能なメディアには頭に来ていたが、今回ばかりは本当に愛想が尽きた。みなさん、どう思いますか? 私たち国民が裁かなければ、メディアの馬鹿ぶりはこれからも何も変わりませんよ。はっきり言って、戦後以降、今日までの日本の道徳の崩壊、教育の崩壊、心の崩壊を招いた最大の責任はメディアにあると僕は思います。

banner_03

ブログランキングに参加してみました。気が向いたら、クリックしてやってください。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

ブルースプレー

Dscn2723  今日はブルースプレーの定植をいたしました。ブルースプレーといいますのは、日本での一般名では千鳥草(ラークスパー)のブルークラウド、学名ではConsolida regalis  Cloud Blueというのが正しいのでしょうか、正確には自信ありません。定植といいますのは、プラグトレーという播種育苗専用のトレーで育てた苗を、畑(ビニールハウス)に植えることをいいます。写真の苗は、2/24に播種し、育苗ハウスにて成長させたものです。

 今年はかなり農作業が遅れております。例年ならば、1月中旬には最初の播種を行いますが、今年は早くからの大雪のため、またこのブログにも書きましたが、13棟もハウスが倒壊してしまったこともあって、農作業を遅らせています。全体として1ヶ月以上は遅れています。また、この冬は「平成18年豪雪」と言われ、この月形でも私が移住して以来最高の積雪量ですが、それにもかかわらず、巷では雪解けが早いというような噂を聞いておりますが、ここ月形では何のその、まだ1メートルもの積雪が残っています。というわけで、今年は就農して最大のピンチの年となりそうな予感がしております。ま、どうでもいいことです。

Bs2  それで、ブルースプレーは大きくなると、左のような花になります。スプレーというのは、花がいっぱいついているという意味です。この花は数年前までは、その鮮やかな紫が好まれて、需要の非常に多い花でしたが、最近はシネンシス系デルフィニウムと呼ばれる、スプレー状に咲くデルフィニウムが、ブルースプレーよりも好まれるようになり、ブルースプレーの需要は激減いたしました。シネンシス系デルフィニウムが好まれる第一の理由は、花持ちの良さだと思います。花持ちというのは、消費者が購入した花を何日間楽しむことができるか、ということです。ブルースプレーを含む草花と呼ばれる分野の花は、基本的に花持ちが悪いことで知られています。私は、自分の花には花持ちという点に関しても自信がありますが、やはり一般的なイメージとしてブルースプレーは花持ちが悪い花として定着してしまっている気がします。需要が減ると、それに連れて生産も減少し、生産者もかなり減ったようですが、私は未だこだわって作り続けています。その理由は、私のこの花が欲しい、と言ってくれるお客様がいるから、ただそれだけです。だから、全然売れなくなれば生産も諦めます。実は、そろそろ潮時かなあ、とも考えているのですが、今年はまだ頑張るつもりです。今日こそは最後まで花の話題で締めることができました。どうもありがとうございました。

banner_03

ブログランキングに参加してみました。気が向いたら、クリックしてやってください。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2006年4月 2日 (日)

自然に還れ

Dscn2719  上の写真はダスティミラー(白妙菊)の種子です。下の写真がビニールハウスに植えたばかりのダスティミラーの苗です。ダスティミラーは葉を観賞する作物なので、もう少し大きくなったら切り取って出荷します。この写真では、種子の大きさはわかりにくいですが、長さは5ミリ程度だったと思います。ダスティミラーの種子は、大きすぎず小さすぎず、といいますか、Dscn2715種子を蒔いて育てる農家の立場としましては、非常に扱いやすい種子です。

 それで、今日は種の話ですが、種は生きているんですよね。別に心臓が動いているわけでもなく、活動は完全に休止しているというのに、適度な水分と温度が与えられれば、活動を始め、植物体を作ります。私たち人間はというと、いったん心臓が止まったら終わりです。死へと直行です。だけど、心臓停止と同時にすべての身体機能が終了するわけではありません。細胞の一個一個は、必要な栄養素等が不足し、徐々に死滅してゆくわけで、細胞は人間という生命体の一部でありながら、それぞれ個別に生きているわけです。そして、それぞれがちゃんとその核の中にDNAを持っています。そういう意味では植物の種とさほど変わりません。だけども、決定的な違いはあります。植物は(すべての植物がそうなのかどうか知りませんが)、組織のどの部分からでもふたたび完全な植物体を再生することができます。そう、種と同じ働きを組織のあらゆる部分が有しているのです。人間の個々の細胞の中のDNAも、最初の(精子と卵子が受精した)受精卵のDNAと全く同じですから、人間を再生する設計図としては完全なはずですが(クローン技術を用いれば可能なのでしょうが)、簡単に再生できない第一の理由は、母胎という非常に特殊な環境が必要だということなのでしょう。

 僕たち人間は、生きている限りいつも頭を働かせています。何か考えています。そして行動します。それがすべてであり、最も重要なことだと思いがちです。だけど本当はそうじゃない、人間にとって本当に重要な事柄は、ほとんど体が勝手にやってくれています。心臓を動かして全身に血液を送り、肺を働かせて酸素を取り入れ、食物を分解して栄養分を血液から全身へ、不要物は排泄、という具合に。DNAに書かれている、生命活動に関わる重要な事柄は実は勝手にやってくれているんです。では、脳に与えられた残りの必要事項は何かというと、食べ物を見つけること、異性を見つけること、住む場所と着る物を見つけること、など、残った外面的な役割だけです。本当はそういう外面的なことさえこなせれば十分であって、しかもそれで十分に幸せであったはずです。だけども社会が複雑になるのに呼応して人間も複雑になっていまい、本来的な幸せでは幸せと感じることができず、結果不幸な人間で溢れかえっています。また、そういう不幸と感じる心が、本来勝手にこなしてくれているはずの身体機能にまで影響を与え、ストレスという内的要因から病気になる人も激増しています。現代社会は人間にとって(絶滅に追いやられている人間以外の生物はもっと不幸であるが)、非常に不幸な社会であるといえます。

 植物の幸せは何でしょうか? 気持ちを確かめたことはありませんが、おそらく、種から成長して花を咲かせて実を付け、種を落としてふたたび芽を出す、そのすべての過程が幸せと感じていると思います。特に花を咲かせた瞬間の花の美しさは、おそらく最上の幸せを感じている時だと思います。

 お金に振り回されて生きるのはもう辞めませんか? 便利さを求めるのはほどほどにしませんか? 新製品を欲しがるのもほどほどにしませんか? 動物にせよ、植物にせよ、異性にせよ、家族にせよ、自分自身にせよ、その生命を見つめ、生命を慈しんで生きることほど最上の幸せは他にないと思います。その最上の幸せに溢れた世界を再生するには、「自然に還れ」しかないかなと思います。最後に、チプコのメッセージというのを読んでみてください(http://www2.saganet.ne.jp/tyama/message/message03.html)。

banner_03

ブログランキングに参加してみました。気が向いたら、クリックしてやってください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2006年3月 | トップページ | 2006年5月 »