« 2006年6月 | トップページ | 2006年8月 »

2006年7月21日 (金)

大問題発生!!

 それでなくても、花が満開で忙しい毎日に疲れ気味だっていうのに、大問題が発生!!

 我が家の奥の山から、田んぼの客土の土を切り出すので、家の前をダンプカーが通る事業に合意してほしい、という説明会があり、聞いてみると、なんと運ぶ土は全部で673400立方メートル、ダンプカーにして134680台分、一日にして最大で500台程度、時間に直すと一分に一台通るというんです。私の家の前の道は歩道もない、車一台しか通れない生活道路。そんなバカな話に合意できるわけは無い、絶対納得いかない旨を伝えて帰ってきました。

 今回の話は、私が関係ある住民だから、私に話しがきたのだけれど、この事業自体が馬鹿げていることを皆さんに合わせて伝えたいと思います。今日はもう夜遅いので、とりあえず概要だけ申し上げて、詳細は追々書きます。

 この事業が土地改良区という制度の中で行う事業で、農家が何割かを負担して、残りは自治体や国や道が負担する制度なんです。今回については、自然の山を破壊して、田んぼに土を入れる。その理由は山の土はケイ酸が豊富で、そのケイ酸が良質米の生産に役立つから。

 問題点1--ケイ酸が必要だったら、ケイ酸肥料を入れればよいだけのこと。環境破壊する必要無し。

 問題点2--土地改良事業は、農家の負担金の割合が数パーセントということが多く、事業に莫大な税金が投入されているのに、事業という形を取ることで農家はお金を多少しか払わなくてよいため、安易に事業に賛成してしまう。大規模な公共事業で山から土を切り出すのと、ケイ酸肥料を入れるのと、どちらがお金がかかっていないか、私から見れば明白なのに、そんな価値観に立てる農家は少ない。もし、個人として全額を負担して山から土を運んで客土しようなどとなったら、実行する人は皆無だろう。そんなに儲かるわけないのだから。

 土地改良区という制度が日本の農家をいかにダメにしているか、後日書きたいと思います。

 誰かいい考えがあれば、教えてください。

banner_03 クリックお願いします!!

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年7月14日 (金)

超多忙期に突入しました

 読者のみなさん、こんにちは、青い芥子です。いろんなテーマのお話がまだ中途半端な状態になってしまっていますが、ずっと咲き遅れていた花達が、昨日と今日の猛烈な暑さのためにいっせいに咲き始めました。例年よりも半月以上の遅れですが、ようやく本格的な収穫期に突入いたしました。私の花達は、これより秋11月まで咲き続けます。超多忙期は10月中旬頃までになるだろうと思われます。それまであまり大した話題は乗っけれないかもしれませんが、今後も近況報告程度のお話は書いていこうと思っていますので、たまには開いて見てくださいね。

 ちなみに今収穫中の花ですが、ホワイトレースフラワーブルースプレースカビオサ、セントーレア、エリンジウムダスティミラーラムズイヤーとなっております。

banner_03 クリックお願いします!!

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2006年7月10日 (月)

生きる姿勢—1

 またまたドギューンと重いタイトルでいきます。だけどね、僕も少しは成長したようで、みんなが理解しやすいように書く術をちょっとは心得たようですよ。乞うご期待!

で、「生きる姿勢」というのは、僕の一番好きな言葉なんです。その出典を紹介する前に、雑談を….

僕は3人兄弟だったのですが、僕以外はすべて女で、姉と妹に挟まれて育ったせいで、少女マンガも数多く読んできました。そして心の底から感動した少女マンガもいくつかあります。少女マンガと少年マンガの最大の違いは?、と聞かれると、いろいろと思いつきますが、僕が思うのは、少年マンガの男は戦いとかスポーツとか、男らしいといわれるような世界に生きること。それに対して少女マンガの男は、女性との愛に生きることだと思います。

愛に生きる男と主人公の女性との愛を描いた、オーソドックスな少女マンガで、僕が一番感動して、未だに全巻揃えて本棚に並んでいるのが、上原きみこさんの「マリーベル」というマンガです。このマンガはフランス革命の頃のフランスを舞台にした恋物語で、僕は何度読んでも涙が止まらないのですが、今日はこの話ではないので、マリーベルの素晴らしさはまた次の機会にいたします。

今日は「生きる姿勢」ということです。なんで「生きる姿勢」から少女マンガの話を始めたかというと、この言葉の出典もある少女マンガなんです。それは里中満智子さんの「アリエスの乙女たち」というマンガ。このマンガはテレビでも放映されたようですが、僕はテレビは見ておりません。あくまでもマンガの話。ストーリーはべたべたの恋物語なんですが、登場人物の高校生の男の子が愛する女性と別れる際に次のセリフを言いました。「男にとって言葉は第三の価値しかない、第二は行動、そして第一は生きる姿勢だ」と。この「生きる姿勢」という言葉の意味するところを、当時子供だった僕に理解できるわけもなく、だけどもいったいどういう意味なのか、ずっと頭に残っておりました。そして、それがつい最近になってわかったようなんです。

たとえ話を一つ。大金持ちの人がいて、資産何十億も持っていて、儲かりまくりで、ちょっと税金対策のために一億ほど寄付でもしようという。また別の人で、日々の食べ物にも困っている人が、町で募金活動をしている人を見かけて、今晩の食事代にと握り締めてきた千円のうちの五百円を募金箱に入れた。また別の人で、戦争で村を追われて難民になって、食べ物を手に入れる術もなく本当に困っているところに、国際ボランティアが食糧配給をしてくれているという話を聞き、何キロも歩いてボランティアのいる町まで辿り着き、やっと食糧を手に入れた。難民キャンプに帰ってみたら、今にも死にそうになっている子供たちを見かけて、手に入れた食糧を残らず分け与えてしまった。

彼らの行動を比べた場合、行為の重さを金銭に換算したら、一億寄付した人間が最も大きい貢献をしたと評価され、世間ではもてはやされるでしょう。さっきの「アリエス」の話に戻ると、「第二は行動」です。

だけど本当に大事なことはその心の姿勢ではないだろうか。「税金対策にもなる」とか、「世間で尊敬される」とか、最終的に願っているのは自分自身の利益。「生きる姿勢」は自分の利益のため。

それに対して、2番目の人は、別に自分の名前が残るわけでもないのに、お金の半分を寄付した。そして3番目の人は、自分も死ぬかもしれないのに、食べ物をすべて分け与えた。結果の大きさを見れば、一億寄付した人間が最も大きいのだけれど、その心の清らかさとか、行為の美しさを比較すれば、2番目、3番目の人の方がはるかに素晴らしい。

 僕はいつも、何か行動する時や、何かしゃべったり書いたりする時は、自分自身の心の姿勢を確かめるようにしています。自分の今からすることは、いったい何のためなのか、自分の利己的な目的のためではないか?、「誰かのために」と言っていながら、実は心の底では自分の利益を期待していないか?、と。

 「生きる姿勢」が利他的なものであればあるほど、それが心の清らかさ、心の豊かさであり、心に永久に保存できて失うことのない、人生で最も価値のある唯一のものだと僕は考えて生きています。自分の「生きる姿勢」を正すために、今日もこのブログを書いています。書いている内容ほど、僕は清らかな人間ではありません。だけど、そうありたいと願っています。

banner_03 クリックお願いします!!

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2006年7月 3日 (月)

夜盗虫(ヨトウムシ)との戦い

Dscn2996  花が遅れていることもあって、毎朝ゆっくりと農場の見回りをする余裕がある。朝の見回りで調べることは、第一に土の乾き具合、その日の天気予報と実際の天候、それに肌で感じる湿度や風、空模様なども照らし合わせて、水を与えるかどうか決める。そして次に、作物の生育状況と病害虫の被害などを調べる。

 で、写真の気持ち悪い虫の話題だが、夜盗虫(ヨトウムシ)という。なぜヨトウムシという名前かというと、日中は土の中に潜ってじっとしているが、夜になると這い出てきて、作物を食害するから。ただ葉っぱを食べるだけならいいのだが、ヨトウムシが恐ろしいのは、小さな苗ばかりを狙って(小さな苗は柔らかくておいしいからだろう)、地際の生え際を切断し、上部の葉っぱを土中に引き込んで、すべて食い尽くしてしまうのだ。そして、株から株へ次々と食べ続けるので、放っておくと畑が丸裸にされてしまうのだ。

 余裕があることもあって、じっくりと見て回っていると、今年は特に被害が多く、毎朝5~6匹のヨトウムシを退治している。退治方法は、食害されている株を見つけると、その株を掘り出して、株の周りを掘ってヨトウムシがいないか捜すのだ。この作業に毎朝30分は費やしている。

 と憎たらしいヨトウムシの話だが、こんなヨトウムシでも、退治する時には少々心は痛むものだ。なんのために虫を殺すのか? 花を作るため。では何のために花を作るのか? 僕と僕の家族が生きるため。そう、ビニールハウスは僕と僕の家族が生きるために作り出した、花だけを生かすための人工の生態系なのだ。この生態系の中でより品質の良い花を作るために、何十、何百、何千の虫を殺し、何万、何十万の微生物を殺し、何百万、何千万の細菌を殺している。

 僕はこの生態系に直面して生きているから、このように実感する機会があるが、僕のように農業を営んでいない人間であっても、一人の人間が生きるためには、物凄い数の他の生物を犠牲にして命を保ち続けているのだ。

 だけど、犠牲になって死んでいく虫や微生物に、天寿を全うするだとか、「まだお若いのに....」だとか、感情があるわけではない。彼らは自分が死ぬということすらわかっていないかもしれない。だけどそこに、悲しみがあるわけでもないだろう。そこにあるのは、ただ生まれて、そしてただ死んでいく。個体としての死はそんなに重要ではないのかもしれない。大切なのは、命が受け継がれていくこと。

 最も尊いことは「命が受け継がれていくこと」だと思う。そして、自身の命はただ生まれ、そしてただ死んでゆく、そんな儚い生命だからこそ、精一杯生きようと思う。儚い生命だからこそ、美しく、そして尊く生きたいと思う。彼らの生涯はとても短いが、決して手を抜くことなく、精一杯全力を尽くして生きている。常に死と直面して、命をかけて生きている。

 生涯が長いからといって、手を抜いて生きていてはいけないと思う。そんなことでは、僕の犠牲になって死んでゆく生物たちに申し訳が立たない。たとえば、最近は健康ブームみたいになっているが、健康に気遣うこと自体は悪いことではないが、だけどこの体はいったい何のためにあるのか?、と僕は思う。ライオンは狩りをしなければ生きていけない。獲物を追いかける足を失ったライオンは死ぬしかない。蚊は、人間に叩き殺される確率の方がはるかに大きいことがわかっていながら、それでも果敢に血を求めてやってくる。ただ子孫を残すためだけに。

 農業をしていると、時には無理をして、体を痛めることもある。だけど、それが当たり前のこと。この体は食べ物を得るためにあるのだから。僕の子孫を養うために、僕の体はあるのだから。自分の生命を長引かせることが、僕の生きる目的ではない。「天寿を全うする」とか「老後の楽しみに」とか、なんか今の世の中はおかしいと思う。

banner_03 クリックお願いします!!

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2006年7月 1日 (土)

ハウスの修理完了!

 こんにちは! 1日遅れましたが、宣言いたしましたタイトルのお話です。以前にビニールハウス13棟倒壊!! でお伝えした、わが農場のこの冬の大被害ですが、ようやく復旧作業が完了いたしました。一番ひどかったハウスも、

Dscn2650_1

このように雪でペチャンコになっていたんですが、

Dscn2993_1

 このような立派なハウスに生まれ変わりました。応援してくださったみなさん、どうもありがとうございました。本当言うと、まだ4棟ほど修理していないハウスが残っているのですが、もうそろそろ花の販売の方にも本腰を入れないとまずい状況になってきたので、残った4棟は秋以降の宿題にすることにしました。あんまり焦っても良いことはないし、まあ年相応にのんびりやります。

 それにしても、今年は私が農業始めて以来、最も大変な一年になりそうです。

banner_03 クリックお願いします!!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2006年6月 | トップページ | 2006年8月 »