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2006年11月27日 (月)

日本の人口と世界の人口

 最近は少子化というのが大きな社会問題になっています。僕ら花の業界でも同じで、ブライダル需要は縮小し、葬式需要が伸びることが予想されています。僕も気になって、いろいろと調べています。将来推計人口データベース(http://www.ipss.go.jp/syoushika/tohkei/Mainmenu.asp)というHPを見つけました。

 日本と世界の推計人口は次の通りでした。推計には、高位推計と中位推計と低位推計の3つがありました。要するに、最も多い予測、中間的な予測、最も少ない予測ってことです。

 日本の人口は、現在1億2700万人が、中位推計では、2050年には1億2100万人、2100年には6414万人になるとのことでした。低位推計では、2100年には4645万人になっていました。

 世界の人口は、現在64億6500万人が、中位推計では、2050年には90億7590万人、低位推計では、2050年には76億7970万人、高位推計では2050年には106億4630万人になっていました。

 現在の日本の政治および世論の考え方では、日本の人口が減少していくのを食い止めようと、少子化対策というのが政治的課題にまでなっています。でも、地球環境のことを考えますと、日本は非常に理想的な形で人口が減少してくように見えます。

 世界の人口は増加の一途を辿るようですが、現在の64億人でも地球が養いきれる人口をはるかにオーバーしているというのに、100億人を超えるというのは地球にとっては大変な負担です。ただ、僕の予測では、100億人に達する前に、急激な変化があって(人為的な変化か自然の変化かどちらとも言い切れませんが)、世界の人口は減少に向かうと思います。そうでなければ、地球が滅ぶからですが。

 では、なぜ日本人の出生率はこんなに下がってしまったのでしょうか? 女性の社会進出とか、いろいろな要因が考えられますが、僕の周りには、子供が欲しくてもできない夫婦がたくさんいるし、僕自身も、たった一人の子供をもうけるまでに12年もかかりました。決して家族計画していたわけではありません。

 以降は僕の勝手な考えです。
 
 出生率の低下と平均寿命の伸長は明らかにリンクしていると思いませんか? そう、他の動植物も同じですが、個体の寿命が長くなるにしたがって、増殖能力は衰え、といいますか、増殖する必要性が減少しているのを個体の遺伝子が察知して、自然に出生率は低下していくのだと思います。

 世界の人口についても同様に考えられ、社会が発展し、平均寿命が長くなるにしたがって、出生率が下がっていくと考えています。だけど、それまで地球は無事でいられるだろうか?

 そこが一番重要なポイントで、だから僕ら環境活動家は必死に訴えているわけですが、今後数十年の間に必ず全世界レベルでの急激な(何億人もしくは何十億人もの人が死に直面するような)社会変化もしくは気象変動に直面すると思います。その際、世界は今のような経済発展が最大目的の資本主義を捨て、地球共存主義というような新しい価値観を受け入れなければならなくなると思います。そしてその時に、地球が少しでも生物にとって住みよい状態で残っているように、また、人類にとって少しでもソフトな形で新しい世界を受け入れることができるようにと、僕も願っているし、多くの環境活動家も活動しているものと思います。
 
 地球環境の話ばかりですいません。最後まで読んでくれてありがとう!!

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2006年11月18日 (土)

生命の目的

 生命は、人類であれ、動物であれ、微生物であれ、同じ一つの目的を持っていると思っています。同じ一つの生命から始まったからです。「生命の目的」を問うと、「自己の存続」、あるいは「自己の複製の増殖」という答えが返ってきますが、それは目的ではなく、結果ではないでしょうか?

 「自己の存続」と「自己の複製の増殖」の中で、「自己の存続」は後から生じたものであり、「自己の複製の増殖」の方が最初からあったと思います。なぜなら、進化した生物体ほど寿命が長いからです。また、単純な生命は遺伝子の交流は行わず、自己の完全なる複製だけを行っています。単純な生命ほど、本来の「生命の目的」通りに生きていると思います。

 「自己の複製」のためには、太陽と地球から得たエネルギーを費やして、新しい生命のために自身を犠牲にしなければならない。そう、自身を与えることこそが、生命の目的ではないかと思うのです。それが、私達の最も深いところにある、潜在意識の中にきちんと存在すると思うのです。だけど、人間は進化しすぎたために、文明が発達しすぎたために、潜在意識に触れることがほとんどできなくなってしまった。だけど、ごくわずかな人だけが、潜在意識にまで到達することができた。それがイエスキリストや釈迦であったと思います。

 「性善説」、「性悪説」という言葉がありますが、潜在意識の中では、すべての人間は善であるのに、その自分の中の善に気づかずに生まれ、気づかずに育ち、気づかずに死んでゆく。すなわち、本当は「性善説」が正しいのに、「性悪説」のような世の中になってしまい、だから、家庭教育や学校教育、社会教育がしっかりしなければならない、と必死になっていますが、発展途上国の、特に原始生活に近い生活をしているような民族には、難しい社会教育も学校教育もないけど、「ストレス」も「肩こり」もないし、ましてや「自殺」など、全く理解不能なことだそうです。

 自殺の問題にしても、地球環境の問題にしても、人々の意識の転換、新しい価値観の樹立こそが根本的解決の唯一の方法であると思いますが、それは無理矢理に都合のいい新しい価値観を作り出して、押し付け教育をしようという話ではなく、私達自身の心の中にある、本来それこそが私達の本質であるところの「生命の目的」に還れば、辿り着けると思います。迷子の子供が自分の家に帰るように、新しい価値観に還り着くことができると思います。

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「ライフスタイルに社会的責任を持とう」という記事の紹介

 とても興味深い内容の対談を見つけましたので、ぜひご覧ください。

http://www.asahi.com/ad/clients/sj2005/panel_01.html

 その中で、僕が重要なポイントと感じたことをいくつか挙げます。

1. 市民が本当に大切と思うもののために立ち上がる、あるいは行動することが、一国の政府の決議を遅らせる、あるいは変えてしまうことが十分あり得る

2.このまま何もしなければ、2026年には地球温暖化時限爆弾が炸裂する

3.「私は宇宙である」、「私は地球である」、「私はあなたである」。この3つの認識を徹底的に考え抜くと、あらゆる環境倫理、環境哲学が帰結される。

 そのほかにも、もっと重要なポイントがいくつもありましたが、本文を読まれることが一番いいかと思いますので、手短ですが、以上です。

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2006年11月15日 (水)

僕といっしょに地球環境の講演会を聴きに行きませんか??

1 僕といっしょでなくても、全然構わないんですが、ちょっとかっこよく言ってみたかったので。僕のブログをお読みの方で、北海道内在住の方、地球環境に関する講演会が、苫小牧で開催されます。以前に何度かこのブログでも紹介しましたが、NPO法人ネットワーク「地球村」の代表、高木善之さんの講演会です。僕も今年の春に一度だけ、この方の講演会を聴きに行ったきりで、しかもその時のテーマは「生きる意味」ということでしたので、地球環境をメインテーマにした講演会を聴くのははじめてで、とても楽しみにしております。

2  僕があれやこれやと語っても、よくわからないと思いますので、ご興味がおありの方は、 ネットワーク『地球村』 のホームページをご覧ください。  

 で、詳しい情報が必要でしたら、私の方でも少しは説明もできますので、お気軽にメールください。また、僕といっしょに行ってみたいという方は、チケットの手配など、準備させていただきますので、メールくださいね。若い女性、大歓迎ですよΣ(゜o゜C=(__;バキッ

 あ、それから、苫小牧の講演会は12月7日で、僕はそっちの方に行くんですが、翌8日には、十勝地方でも講演会があるそうです。もし十勝方面で聴きに行きたい方がおられましたら、そちらの方のご案内やチケットの手配もお手伝いできると思いますので、お気軽にメールください!!

 では、みなさん、未来の子供達のために、頑張りましょう!!

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2006年11月11日 (土)

本年度最後の新品種候補??

Dscn3261  北海道は、いよいよ明日から大荒れの天気になるとのことです。もはや当たり前の接頭語となった「台風並みに発達した」低気圧が北海道に近づき、今回は非常に強い寒気を伴っているため、平地でも雪が積もる可能性があるとのこと。ここ月形は、北海道でも有数の豪雪地帯です。積雪が始まると、まさにがらりと世界は変わります。通常の社会生活は支障をきたし、冬バージョンの生活になります。我々農家の仕事は大幅に制限され、私の場合は灯油を焚かない地球環境保護農家ですから、すっぱりと仕事は終わります。これから、雪解けが始まる3月までは、長い長い冬休みです。

 そんな中、ハウスを片付けていると、またもやかわいいスカビを発見!!! 早速、挿し穂繁殖に入りました。色合いは、写真ではピンクに見えますが、目で見た感じはもう少し青っぽいので、「ライラック」なんて名前にしようかと考えてますが、みなさん、どうでしょうか? なんかかわいい名前があれば?

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2006年11月 9日 (木)

いじめ自殺について-2

 生まれつきの善人なんて、いるわけない。人はみな、生まれた時は本能のままに、自分を生かすことで精一杯。自分のことだけを考えて生きているものだ。それが、大人になっていくにしたがって、周りの人間たちや社会の影響を受け、善人になるか、悪人になるか、またはその中間の適当な居心地のいいポジションで落ち着いてゆく。

 自分のことだけを考えて生きてきた子供に、大人は善人になることを要求する。その要求は決して間違ったものではない。生まれつきの善人なんて、いるわけない。最初は見え透いた偽善行為でも、その偽善行為を重ねていくうちに、それが子供自身にとって当たり前の行為になり、そして偽善者から善人に成長してゆくのだと思う。子供に限らず、大人でもそうだ。偽善者は決して悪いことではない。善人になろうと努力している素晴らしい行為だと思う。

 ちょっと前のいじめ自殺の時に、担任の教師が子供に「偽善者」とニックネームをつけた、という話があった。僕は、教師がいじめに加わっていたことも大きな問題であると思うが、それよりも、この教師の人間としてのレベルの低さに愕然とした。そして同時に、社会全体の道徳観、善悪の感覚の欠如ではないかと感じた。

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2006年11月 7日 (火)

いじめ自殺について

 花が無くなったら、全然日記が書けないじゃないか!! 花で忙しい時は、話題があっても忙しくて日記が書けない。花が無くなったら、話題がなくて日記が書けない。悲しい....。

 今日は朝から雨です。何人かの方が心配してメッセージくれましたが、うちは被害はありません。ありがとうございました。ここで異常気象の話を始めたら、またいつものパターンになってしまうので、その話は今日はやめときます。

 いじめ自殺についてです。最近はニュースでいじめ自殺を取り上げない日はありません。

 世間はいじめの問題を学校の問題と考えて、学校の改善策ばかりに関心が集まっていますが、ちょっと違うと思っています。日本の自殺者は年間3万人で世界でナンバーワン!!! 異常なのは学校ではなく、日本社会すべてではないでしょうか? 異常な日本社会の中で正常な学校は、やはり異常ですよね。それと、「いじめ」と、「いじめ自殺」は、全然違う問題だと思います。というか、何か嫌な事が「自殺」に直結する日本社会の異常さこそが、一番考えなければならないことだと思います。

 といいますのは、集団化した群れを守っていくために、弱者が犠牲になっていくことは、動物社会にだって存在するからです。人間社会、特に日本社会のような高度な文化が要求される社会になると、みんな集団に所属して自身のポジションを守ることに精一杯ですから、いじめのようなものが存在することは避けられません。私自身はいじめに全く参加せず、かついじめられることもない超越した存在でしたが、そのような存在でいれることは本人の人間性と周囲の環境条件が合致した場合に限られ、超越した存在がさらに高度ないじめにさらされる例だってありえます。

 問題は、容易に「自殺」に直結する理由は何か?、ということではないでしょうか? 今日もいじめ自殺のニュースが流れていて、私の隣で3歳の息子がどこまで理解できているのか、ニュースにじっと注目していました。「自殺する」という言葉を、毎日のように平然と聞いて耳慣れていく、こんなことにも問題があるのではないかと感じました。

 とすると、テレビドラマなどにも大いに問題あるのではないか? それと、前々から感じていたのですが、子供向けのアニメにしたって、僕が子供の頃は勧善懲悪のヒーロー物ばかりでしたが、今はアンパンマン以外は善と悪の境がはっきりしないようなアニメばかり。これで、子供に善悪の判断基準が正しく備わるのだろうか? たとえば、大人としてもおもしろかった「鋼の錬金術師」や「ブラッド+」。子供の目にはどのように映るのだろうか? 視聴率や、金を持っている大人の娯楽を中心に作られているテレビ番組。

 異常なのは学校ではなく社会全体。肉体的には楽でも精神的に苦しい日本社会。肉体的には苦しくても、精神的には楽しい社会の方がいいと思いませんか?

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