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2007年3月28日 (水)

新十津川で学習会しました!!

Photo_1  今日は、隣の隣の町の新十津川町にいる友人がお友達を集めてくださって、「地球温暖化」の学習会をしてきました。初の出張学習会でございます。しかも、夕食会をしながらの学習会ということで、どんな風になるのか想像もつかなかったのですが、とてもいい雰囲気でやれたと思います。

 時間的にはかなり遅くなってしまって、途中で帰られた方もいて、計画的な点でいけば今ひとつだったかもしれませんが、だけど、最初から打ち解けた雰囲気の中で始めることができたので、冗談も交えながら、随時質疑応答もしながら、という感じで。

 今まで月形でやった学習会は、講師vs生徒という雰囲気になってしまって、僕がしゃべりっぱなしだったので、生徒の皆さんは途中で聴き疲れしているようにも感じていましたが、今回のようにみんなが同じような立場で進めていくっていうのは、非常にいいものだと感じました。今後は、月形の学習会もこのような雰囲気でやっていった方がいいように感じました。

 今週の予定は、あと2本です。

 3/31(土)は、午後1時半から、小学生向けの学習会、同日の夜は、友人数名を自宅に招いての学習会です。ダブルヘッダーです!!

 どんどん上手になっていく自分が恐ろしいですねえ!! ま、図に乗っていられるのは、今のうちかもしれませんので、めいいっぱい図に乗らせていただきますね!

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2007年3月23日 (金)

「新しい価値観」について

 僕が「新しい価値観」にこだわる理由です。

 僕は、自分の住む町で「地球温暖化」を阻止するための市民活動団体を運営しています。活動内容は、住民に対する広報活動です。まずは「地球温暖化」という事実を知らせ、その上で、自分たちにできることに取り組もう、というものです。そういう活動をしていると、「そんなことをやったところで、いったいどれだけの効果があるのか? 政治に働きかけなきゃ意味がない。法律でも作らなければ意味がない。いや、日本だけで頑張っても、アメリカや中国がやらなければ意味がない。」とよく批判を受けます。その際に、「ハチドリのひとしずく」理論で、「一人一人の小さな努力が.....」というのももちろんいいのですが、僕はそれ以上に、小さな市民活動こそが最も重要であると考えているのです。

 なぜなら、問題の根源は、人間の心の中にあるからです。たとえば、法律を制定して、CO2の排出抑制したとしましょう。CO2の排出量は減りますが、人々の心の中には、不満が蓄積されていきます。それでなくてもストレスの多い社会なのに、CO2の排出を伴うような趣味に生きてきた人にとっては、「我慢」でしかありません。地球温暖化問題がありとあらゆる「規制」というもので解決できたとしても、よりストレスの鬱積した社会となり、他の多くの社会問題がさらに重篤な状況になってくると思います。

 また、地球温暖化を含む環境問題は、あらゆる意味で、南北の経済格差の問題、人口爆発の問題とリンクしています。これらを同時に解決しなければ、どれ一つとして解決することはないと考えています。

 それらすべてを同時に解決してゆく方法は、人間一人一人が利他的な価値観を善しとし、これを実現することに喜びを感じられるような社会に変えてゆかなければならないと思うのです。だけど、それは決して法律とかによる押し付けであってはならない。みなが喜んで受け入れられるようなものでなければならない。だからこそ、先の見えない活動ではあるけれど、市民活動が非常に大切だと思うわけです。また、それは僕による押し付けであってもならないわけですから、すべての人の相互理解の中で築いてゆくものだと考えています。

 だけど、その際に、「利他的」ということ自体が、人間の本質と全く異質のものであってはならないと思うのです。「生命の本質が「遺伝子の複製」という、完全に利己的なもので、社会はそのための道具にすぎず、ある局面でのみ必要悪として利他的な状況も受け入れざるを得ない。」というのが真理であるならば、価値観の転換などは夢物語であり、どこまでいっても人間の本質にはなりえないからです。

 みなさんはどう思いますか?

 もちろん、僕の中では結論は出ています。「精神」は「遺伝子」には束縛されません。「遺伝子」から離れて、新しい進化をし、新しい価値観を築くことができるのは「人間の精神」です。地球を破壊し、危機的状況を招いたのは人間ですが、地球を愛し、長きにわたって慈しみたいと願っているのも人間です。知能の発達により、科学技術が発展し、その結果、地球の資源を使い尽くそうとしているのは人間ですが、哲学、道徳、宗教、精神レベルを発展させ、地球の危機を自分自身の痛みとして憂えているのも人間です。

 あらゆる問題の解決のための手段はすべて揃っており、実行するのはそれほど難しくありません。難しいのは、僕達自身の心の問題だけなんだと思っています。

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2007年3月19日 (月)

「地球」--from アマ ンダ

 今日は、私の友人がミクシィの日記で紹介されていたもので、ご本人に転載の許可をいただきました。私としても、少しでも多くの方にご覧いただければと思い、紹介させていただきます。

 ピースボートって、ご存知かと思います。政治的な意図はいろいろあるようですが、それはそれとして、一つの事実としてご覧いただければと思います。もし、何かを感じたら、コメントいただければ、幸いです。

-------------------以下は、日記からの引用です-----------------------

全ての人に平等にやってくるはずの朝・・
その朝を迎えられない子供達が沢山いる事をあなたは知っていますか?

<メッセージ>
http://f.flvmaker.com/mc.php?id=AwrFdggS2olEKcM8_4XfDOR8jt7q4yjap4Fo.D_ATHLWL_bQqEQGqpg7dI/zc/k/JpXPN8cbkiagS4jZjdg1_ti6

-----------------以上です-------------------------------------------

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2007年3月16日 (金)

地球温暖化と北海道農業

 今日は札幌で、「地球温暖化と北海道農業」というシンポジウムがありました。農業関係者、気象関係者などが300名ほども集まり、環境意識の高まりが感じられました。

 内容は、地球温暖化についてのこと(IPCCの報告書に基づいた内容)から始まって、地球温暖化が北海道農業に与える影響と対策について、8人の研究者の発表がありました。各分野においての第一線での研究発表でしたから、それぞれ十分に勉強になりましたが、シンポジウムのあり方について非常に疑問を感じました。

 といいますのは、シンポジウムのサブタイトルが「“避けられない未来”への対応を考える」。発表の内容も、地球温暖化が避けられない未来であることを前提として、その対策を考えているという内容ばかりでした。だけども、想定しているCO2濃度は、発表者ごとにまちまちで、非常に近い将来のことしか想定していないようでした。

 僕としては、一般には、地球温暖化に関する知識も十分に伝わっていない状況ですから、まずは地球温暖化を抑制することが最も重要なことであり、その上で、もし避けられない未来であるならば、CO2濃度で何ppmまでを許容範囲と考え、その濃度での気温上昇は何度になるのか、そして、その温度での農業分野の対策を考える、というのが本来ではないかと思ったのです。

 明確な目標もないままに、適当に数字を予測して対策を考えたところで、10年もすればCO2濃度がはるかに上になってしまって、全然通用しなくなったというのでは話になりません。

 また、温暖化してしまった場合の対策の研究ばかりでしたが、地球温暖化の抑制に繋がる、すなわち省エネ技術などの研究もあるかと思いましたが、今回の発表ではありませんでした。

 以上、私としては、北海道の農業関係団体として、地球温暖化を抑制に取り組んでゆく、という提言でもしてくれるものと期待していただけに残念でした。

 ただし今回は、最後に1時間も質疑応答の時間がありましたので、しっかり質問させていただき、最後は「地球温暖化の抑制が最も大切なことである」という結論を引き出すことができましたので、いい雰囲気で終われたかなと思います。

 だけど、僕がいなかったら、どんな終わり方になっていたかと思うと....。

 これからも頑張ります!!

 あ、そういや、司会が気象協会の長谷川裕子さんでした。すごくかわいかった!! 写真撮りたかったけど、ちょっとそういう雰囲気じゃなくて。すいません。

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2007年3月11日 (日)

全ての存在は繋がっている-5

 「全ての存在は繋がっている」シリーズの完結編です。

 これまでの経験と、さらにアーヴィンラズロの本で科学的な根拠に出会えたことで、僕は「全ての存在は繋がっている」ということを実感するに至ったわけですが、それではなぜ、そのことで世界が救われる道があると確信できたかについて、お話します。感のいい人は気づいているとは思いますが....。

 至極、単純バカな結論です。みんなが繋がっておらず、バラバラだったら、一人が必死になって努力して叫んでも、特に僕のような一般市民が必死に訴えても、表面的な影響を与えることはできても、狭いエリアでしか影響はないでしょう。バタフライ効果ということをアーヴィンラズロ博士も言っておられますが、バタフライ効果が現れるにしても、その小さな蝶の羽ばたきが大きな嵐に発達するためには、その羽ばたきを増幅させる正のフィードバック効果が必要だと思うんです。だから、65億にまで膨れ上がった人々のバラバラな心を、強制的ではなく、善意の発揚で一つにすることなど、到底不可能だと思います。

 だけど、「全ての存在は繋がっている」としたら、僕達が憂えているのと同じ意思や同じ悲しみを感じている世界中の人の意識が、この僕達の悲しみが大きくなればなるほど、大きな力となって、それほど強く意識していない人たちの無意識の中にも浸透し、やがては世界中のすべての人たちの潜在意識に影響してゆくことができると思うんです。そう、言葉は違えども、宗教は違えども、喜びや悲しみは同じだと思います。

 そして、そのための絶好のツール「インターネット」が用意されている。イエスキリストの時代にも、釈迦の時代にもなかった、最高のツールです。情報の伝わる速さは、当時の何倍かは想像もできません。

 世界中で、地球の未来を憂慮し、根本的に何かを変えたいという思いが繋がり始めています。僕も、自分でいろいろ調べて勉強して、アーヴィンラズロに辿り着いたと思ってはいますが、本当は世界のその大きくなりつつある波動を感じ取って、繋がっただけに過ぎないと思います。

 だけど、僕は僕でこうやって情報発信することで、さらに多くの人の心が繋がり、地球の明るい未来を希求する思いはさらに増幅されてゆく、まさにバタフライ効果そのものです。僕は、自分自身がこんなにも価値観を変えることができたのを知っているからこそ、僕以外の誰もが、そんなに困難でもなく、価値観を変えることができると信じることができます。

 絶対に世界は良くなる!、地球温暖化は阻止できる!、と信じられるからこそ、理想の未来を考えましょう!!、と発想できるし、そのように信じて行動することでこそ、地球温暖化は本当に阻止できると思うんです。

 そんな感じで、もっともっとみんなの思いが強くなって、地球の未来に大きな影響を与えることができればと思います。

 今日もありがとうございました!!

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2007年3月10日 (土)

環境>経済へ向かって

 環境活動家や環境学者さんの中でも意見はいろいろあって、極端な人は原始生活に戻るべきとか言うし、また学者さんの中には、今の経済水準を維持したままで温暖化を阻止することは可能であり、環境と経済は両立できると言う人もいます。

 どの程度まで消費を抑えるべきなのか、自然エネルギーのための設備に要する環境負荷はどのくらいなのか、また、経済と環境は両立できるといっても、どの程度の経済レベルを指しているのか、すなわち世界最高水準のアメリカのレベルでも、省エネ基準を満たした商品を使用することで、両立可能であるのか、具体的な方策が定まってもいないのに、両立は可能であると言い切ってしまうのは、ただ安心感を与えるだけで、「地球が滅びる!!」と言って危機感を煽るのと変わらないくらいに危険であるように思います。さらに、「経済と環境の両立」という表現が大いに疑問にあるように感じました。

 そこで僕の考えですが、「経済と環境の両立」といっても、その優先順位を間違えてはならない、すなわち、「経済>環境」ではなくて、「環境>経済」と優先順位を逆転させなければならないと思います。優先順位を逆転した上での両立でなければ、両立は不可能だと考えます。

 これは、とても大変なことです。日本では特にそうです。たとえば、「フードマイレージ」という考え方(食料の(=food)輸送距離(=mileage)という意味で、重量×距離(たとえばトン・キロメートル)であらわされます)。その食べ物がどれくらいの環境負荷をかけたのかがわかります。購入する時に、値段ではなく、環境コストを見て選択するのです。当然、輸入品よりも国産の方が環境コストは低いです。遠くの産地よりも地場産の方が環境コストは低いです。ちなみに、日本人の「フードマイレージ」は、総量でも、一人当たりでも世界一だそうです(これについて農水省幹部は「現代の日本人が歴史上のどの時代における、どの国の王侯貴族よりも贅沢な食事をしていることになっている」と解説しているそうです)。

 簡単な例を挙げましたが、食べ物に限らず、経済よりも環境を優先するというのは、簡単な言葉ですが、非常に大変なことです。表現を変えると、次のようにも言えます。今の自分の快適で便利な生活と、100年後の子供達の未来とどちらが大切か? 今の自分の贅沢な食生活と、地球の裏側で飢えている発展途上国の子供達とどちらが大切か? もちろんどの例でも、誰でも後者が大切だと答えるだろうし、私自身もそのように答えるでしょう。だれでも集合的無意識の世界ではそのように考えているでしょうが、現実の世界の中では自分自身の欲望を簡単には克服できません。

 「お金・経済」とは、あらゆる生命体の利己的な遺伝子が持つ、根源的な欲望が具現化した、まさに根源的な欲望そのものであると思います。だからこそ、その順位を入れ替えることに非常に大きなロマンを感じます。そして、その順位の逆転を果たしている人間は少なからず存在しますし、世界のあらゆる問題の解決に繋がる重要なポイントであると思います。

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2007年3月 6日 (火)

全ての存在は繋がっている-4

 前回の日記で、

>高校時代に思いを寄せていた女性からでした。

の記述から、「その彼女と結婚して幸せになった」と誤解されたような気がしましたので、訂正しておきますが、その彼女とは、ただそれだけです。おそらく、僕にとっての彼女の存在の意味は、その一時であったのだろうと思います。もちろん、別の選択肢もあったのかもしれませんが、今から遡って考えた時に、その時その電話をしてくれたのは、僕の潜在意識の中で、今の僕を救えるのは彼女しかいないという強い願望があって、それが集合的無意識を通して彼女に届いたのかもしれません。もちろん逆に、彼女にとっての僕の存在した意味もあるのでし
ょうが、それは僕にはわからない部分です。

 で、今日は、もう一つのアプローチについて。前回の日記で、一つの流れで結論までいってしまったわけですが、実は他にも、今に至るための数多くのアプローチがありました。それらすべてのアプローチが今の自分を運命づけていったのですが、今日はもう一点のアプローチについてお話します(まさに、全ては繋がっている、ということです)。

 今から3年ほど前、僕の幼馴染の親友から突然の連絡がありました。彼とは、20年以上も音信不通だったのですが、高校の同窓会をやろうと思い立ったとのこと。彼もまた、同窓会幹事でもなんでもなかったんですが、急にやりたくなったということなんです。ちなみに彼と僕との関係ですが、大阪のとある総合病院でわずか5日違いでこの世に生を受け、幼稚園、小学校、中学校、高校までいっしょに人生を送りました。彼はいつも人気者だったのですが、変わり者の僕にとってはただ一人の理解者であり、親友でした。そんな彼の誘いですから、僕はもちろん同窓会に参加、住む場所は北海道と神戸と遠く離れているため、その後は会えるわけではなかったけれど、その同窓会以来、メールを通しての親交を続けるようになりました。
 
 そんな折、今から約2年ほど前、彼はメールで僕に、「鏡の法則」という素晴らしいお話があるから読んでみないか、とのこと。「鏡の法則」から入って、野口嘉則さんのブログ「幸せ成功力を日増しに高めるEQコーチング(http://coaching.livedoor.biz/)」は、僕がずっと考えていた大きな疑問「なぜ心に願ったことが必ず実現するのか?」「なぜ偶然の出会いが頻繁に起こるのか?」などに答えを与えてくれるものでした。だけど、それはあくまで心理学の世界のことで、科学的な裏づけがあるわけではありません。そこで、野口さんがブログで紹介している本を次々に読破してゆきました。

飯田史彦「生きがいの創造」
 それを思わせる事例が多くあるからといって、「輪廻転生」などという、非科学的な結論に逃げてはいけません。それを否定する多くの事例もあるんだし、生き方を語る本としては優れているかもしれませんが、普遍的な事実を説明するには程遠いと感じました。

村上和雄「生命の暗号」
 解明できない壁に突き当たったからといって、「見えざる手」とか言って、「神」を思わせるようなものに逃げてはいけない、と感じました。

ジェームズアレン「原因と結果の法則」
 内容はまさにその通りですが、なぜそういうことが起こるのか、理由は何も書かれていませんでした。

 他、いろいろな本を読み、どれもなるほどと思わせる内容でしたが、科学的に解明している本は存在しませんでした。そんな中、辿り着いたのが、アーヴィンラズロ「叡智の海・宇宙」。まさに僕が捜し求めていた理論。この理論であれば、世界の不思議な現象がすべて科学で解明でき、しかもこの崩壊寸前の世界が救われる道筋を描けていると感じました。

 そしてちょうどそれと時を同じくして、幼馴染の親友から届いた一通のメール。「白血病」。

 今、自分は何のために生きているのか? ここまで死なずに生きてこれたのは、果たすべき使命があるから。自分の人生を導いてくれた多くの存在があり、互いに相互作用しながら、今という結果を形成していること。自分は自分のためだけに生きていると思い込んでいたが、実は同時に多くの人、否、すべての人の人生に共鳴しつつ、互いに高めあって、共通の幸せを求めてきたのだということ。そんなことが、同じ病院でわずか5日違いで生まれ、一通のメールというほんのわずかなメッセージを通して宇宙の真理に触れる道を示してくれ、そして今、彼が白血病になったという連絡を受けて、これまでの人生のすべての結論がここにあったのだということを悟りました。

 この続きは、前回の3と同じです。今回も長文になってしまったことをお詫びいたします。

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2007年3月 4日 (日)

全ての存在は繋がっている-3

 この日記を続けていくことに、かなり不安を感じておりますが、今から削除してもどうにもならないし、最後まで書き綴ってみたいと思います。今日は第3話です。昨日の続きです。

 大学3年の夏から宗教の世界にのめりこみ、その後は卒業までほとんど授業に出ることもなく、それでも同級生やゼミの先輩の助けもあって、何とか卒業証書はもらえました(本当にお世話になりました。これで中退などしていたら、それはまた全く違う人生になっていたでしょう)。しかし、卒業しても就職することもなく、教団の奉仕活動を続けていましたが、卒業してから1年半後、合計で3年間の修行生活の末に、ついに挫折してしまいました。当時は、教義的には全く問題なく理解していたし、教団の中でも、かなりの優等生でしたが、ただ一つ越えられなかった壁。それは、教団が自由な恋愛を禁止していたこと。恋愛感情を持つことすら許されない世界。そんな中で、教団内の女性信者に恋心を抱いてしまいました。それを誤魔化しながら信仰を続けるということは、私には絶対にできないことでした。そして、教団を去ることにしました。

 熱烈な信仰を持っているにもかかわらず、教団を離れるということは、当時の信心深い私にとっては、生きることをやめるに相当することで、もはや私の中では、「人知れずひっそりと余生を送ろう」というような隠居生活的な人生を考えていました。

 そんな時にかかってきた一本の電話。高校時代に思いを寄せていた女性からでした。聞いてみると、クラブ活動の同期で同窓会をやりたいとのこと。彼女は同窓会幹事でも何でもなく、また、私がそのような人生を歩んでいたことを知っていたわけでもなく、さらに、頻繁に電話をしていたわけでもありません。急に同窓会がしたくなって電話をしてきた、ただそれだけでした。その一本の電話が、僕を一気に現実世界へと引き戻しました。もちろんその時点でも、信仰を完全に失っていたわけではありませんが、「こんな僕でも、まだ期待してくれる友がある。ならば、命あるうちは精一杯生きよう」と。一度死んでつもりになった人生でしたから、もはや何も恐れるものなどありませんでした。そして、前回の日記にも書きましたが、「心に望んだことが何でも実現してしまう」人生の始まりでした。

 再度、化学の勉強を始め、それから1年後の大学院の試験に合格、当時の同期から3年遅れて、大学院に再入学しました。大学院を卒業した後は、某大手化学会社に入社。その会社でも最高の部署、最先端の化学の研究をさせてもらえる部署に配属させていただき、何の問題もない一流サラリーマンの人生が続くはずでしたが、入社5年でやめてしまいました。

 辞めた事情はいろいろとありました。サラリーマン生活が何ともつまらなくなったこと(会社の人間関係や、出世を夢見る方々との付き合いなど)、都会よりも田舎でのんびりと暮らしたくなったこと、化学そのものが地球環境に有害であると感じ始めたこと、などいろいろですが、それに加えて、当時(1995年)、「地球温暖化」という言葉がわずかに聴かれるようになり、当時は横浜に住んでいたのですが、今後の地球温暖化を想定したら、少しでも涼しいところに、どうせなら北海道に移住して、自分が食べる食糧を確保できるように、農地を手に入れるべきだ、と考えるようになりました。その頃は、まさか「地球温暖化」がここまで大変なことになるという認識はなかったし、それよりも、「ノストラダムスの大予言」の方が気になっていましたが、いずれにせよ、都会でお金のためにつまらない人生を送る必要はないと感じ、気ままに生きる道を選択いたしました。

 北海道の月形町に来て、花を作り始めて、これが意外とおもしろく、さらに月形の人たちの暖かい人情に助けられて(都会の人間関係とは全く違う、心豊かな人たちです)、どんどんと花作りにのめり込んでいきました。そしてさらに、商売をすることの楽しさも加わり、「ノストラダムスの大予言」は当たらなかったし、「地球温暖化」のことなど忘れてしまっていました。

 ところが、月形に来て4年ほど経った頃から、気候がおかしくなってきました。毎年のように襲ってくる猛暑、年々ひどくなっていきます。私の作っている花は、寒冷地向けの花ばかりなので、猛暑の影響で甚大な被害を受けています。それに加えて、3年前には、北海道に未だかつて来たことがない大型台風が上陸、私のビニールハウスもほとんど潰されてしまいました。「何かがおかしい」と感じ始めましたが、被害の修復に追われ、忙殺されてしまいましたが、今度はちょうど1年前の冬、ありえないほどの大雪に見舞われ、やっと修復したビニールハウスがまたもほとんど潰されてしまいました。ここに至って、ようやく思い出した言葉「地球温暖化」。それから、「地球温暖化」に関する猛勉強が始まりました。

 まる一年勉強してみて、これは危急を要する状況であることを悟りました。そしてその時点で、自分がなぜここに居て、何をすべきなのか、ようやく気づくことができました。

 化学を専門的に勉強し、宗教を通じて人の生き方の勉強もし、さらに農業を通じて地球の心にも触れ、さらに幼い頃に培った絶対的な正義感。地球のために闘い続けたスーパーヒーロー達。過去に紆余曲折の人生を生きてきたけれど、すべては今この時のためにあったのだということをようやく悟りました。そして、今年の冬、多くの仲間の応援もあって、「地球を愛する会@月形」を始動することができました。会の目的は、「地球温暖化」を阻止することです。

 ブログやミクシィで発表したところ、いっしょに「地球を愛する会@....」をやりたいと言ってくれる仲間が現れました。「地球を愛する会@岩見沢」、「地球を愛する会@西宮」、「地球を愛する会@新十津川」が次々に誕生しました。

 だけど、「地球温暖化」を阻止するためには、人間が今までのようなお金中心、経済中心の価値観を持ち続けていては不可能ではないだろうか? また、もし「地球温暖化」を阻止できたとしても、これから起こるいろいろな問題、「人口爆発」、「経済格差」、「民族紛争」を乗り越えるためには、人間がもっと高い精神性を持たなければならないのではないかと感じました。そんな時に、アーヴィンラズロの理論が実現できれば、地球に救いの道が開かれるのではないかと、さらにそれを実現する素晴らしいツールが目の前に用意されているのではないだろうか!!、と感じ、「地球を愛する会@mixi」を始めてみることにしました。

 「地球を愛する会@mixi」は、ネットでのやり取りを通して人間としての精神性を高め、人類の進むべき道をいっしょに見つけてゆきたいと考えて、創ったミクシィ内のコミュニティです。僕の書いていることは全然正しくないかもしれません。まだまだ青二才ですから。もっと素晴らしい理論があれば、ぜひ勉強させてほしいと思っています。

 時間軸としての繋がりは以上です。また続きが思い浮かべば、書かせてくださいね。

「地球を愛する会@mixi」 (興味がある方はメールください。紹介させていただきます)

http://mixi.jp/view_community.pl?id=1887870

アーヴィンラズロ「叡智の海・宇宙」

http://www.amazon.co.jp/gp/product/4531081447/ref=pd_qpt_gw_1/249-1926069-5725928

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2007年3月 3日 (土)

全ての存在は繋がっている-2

 「全ての存在は繋がっている」という時に、今現在生きているすべての人間の心が潜在意識の中で繋がっている、というのはユングの心理学の世界でしょう。だけど、それだけでなく、アーヴィンラズロの理論によると、人間だけでないすべての生命体は最も根本的な部分(人間においては心と表現できるが、そのような表現ができない生命体もあると思うので)で繋がっているし、さらには、生命を持たない単なる物質でも、あらゆる存在(実在=reality)は量子レベルでは繋がっている(共鳴し合っている)ということなんですね。また、見方を変えれば、私という個人において、過去から現在、未来に至るまで、すべて原因と結果の中でつながり続けており、過去のすべての出来事に意味があって、今の自分を、そして未来の自分を形作っているということなんです。

 今日は自分の中での、時間軸での繋がりについて。
 
 僕の子供の頃の家庭環境は、あまり良くないものでした。そのことが性格に影響して、友達づきあいがへたくそで、会話がへたくそで、そのため、家で一人でテレビばかり見てました。見るテレビはウルトラマンやガッチャマン、キャシャーン、マジンガーZなど、子供向けヒーロー物ばかり。とにかく、好きでした。だけどそのことが、僕の中に絶対的な「正義感」を形成しました。さらに、そこで形成された正義感が幸いして(災いして)、さらに友人付き合いが難しくなったのではないかと思います。

 当時の小学生でもやはり、集団化すれば「いじめ」が始まります。単なるいじめもありますが、たとえば「ウルトラマン ごっこ」や「仮面ライダーごっこ」と称して、ヒーローはいつもガキ大将、怪獣怪人役はいつもいじめられっこです。だけど、僕はそういう遊びには参加できませんでした。たぶん僕の中では、絶対的な正義感が存在していたから。ガキ大将の演じるウルトラマンは、どうみてもヒーローではなかった。結果、僕は当然いじめられっこになるはずですが、あまりいじめられた記憶もありません。きっと、いじめがいのない奴と思われていたのかもしれません。

 中学生、高校生と年を取るにしたがって、僕の中に形成された正義感と実際の世間が矛盾していることに直面し、ますます順応できなくなっていきました。結果、僕は勉強の中に楽しみを見出し、特に宇宙物理学の世界や哲学などの精神世界に、強い関心を抱くようになりました。

 大学受験では、本当は進学したい大学(宇宙物理学科のあった大学)があったのですが、家庭の経済状況を考慮して、自宅から通える大学に現役で進学する道を選択、だけど、夢を諦めたことが幸いして(災いして)、大学での勉強に魅力を感じなくなり、宗教の世界にのめりこむようになりました。

 宗教の世界で、数多くの霊的体験と奇跡体験をしました。当時の修行生活は凄まじく、一日3時間の睡眠時間で、朝から晩まで走り回ってましたので、脳は異常な状態になり、そうなると脳と体が同一化していないような感覚も持つだろうし、宗教をやめてから最近まで、そういうのはすべて脳内ホルモンで説明できると考えていました。もちろん、感覚的な異常さは、すべて説明できると思いますが、どうしても説明できないのは、実体の伴う奇跡体験です。会うはずのない場所で、会うはずのない人と会う。心に強く願えば願うほど、必ず実現するようになる。「信じる」という言葉がありますね。だけど、「信じる」という言葉は、すでにその言葉の中に「疑い」を内包していますよね。信じられないかもしれないから、「信じる」という言葉を使ってしまう。たとえば、自分の親のことを「あなたは僕の親だと信じている」とは言いません。「あなたは僕の親だと知っている」んですよね? この感覚の違いなんです。自分の願いが必ず実現することを「信じている」んではなく、自分の願いが必ず実現することを「知っている」んです。この感覚になれた時、あらゆる願いが実現するようになったんです。

 まだ長くなりそうなので、今日はここまでにします。ご静聴ありがとうございました。

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2007年3月 1日 (木)

全ての存在は繋がっている-1

 今日は、シリアスな打ち明け話から入ります。本邦初公開です。

「全ての存在は繋がっている」

 こういう宗教っぽい表現は、以前は好きではありませんでした。

 子供の頃はご他聞に漏れず、「奇跡」とか「霊界」とか、不思議世界は誰でも気になるものですし、当時は、大槻教授も登場する前で、今ほどに既存宗教も地には落ちてなかったので、「霊界」とか「神」とか「仏」とか、本当にいるものだと思ってました。そのような、ある意味「信心深い」ままに大学生まで進んだために、当時流行の宗教サークルに深くのめり込んでしまいました(僕の10年前の世代は赤い世代で、純粋な学生は共産主義運動にのめり込んだものでしたが、僕の時代はそのような熱も冷め、キャンパスは退廃的になり始めていました。だけど僕は、かなり純粋な学生でしたので、当時流行の宗教サークルに心酔したのでした)。

 しかし、あまりの教義の厳しさに、3年で断念しました。多くの時間を失い、同級生から3年遅れての大学院生活が始まったわけで、しかもその宗教の教義などはその後の人生の中でどんどんと否定され、今は微塵も残っていないわけですが、その経験を通じて、実は不思議な能力を身に着けました。

 たとえば、どんなに遠く離れていても、絶対に約束の時間の5分前に到着する。車を運転していて、ぐるぐると何度曲がっても、方角がわかる。やろうと決めたことは必ず実現する。会いたいと思っていた人と、出会うはずのない場所で偶然に出会うことがたびたび起こる。じゃんけんに絶対負けない。友達に話したら、「そんなの、ありえない!!」と言われてしまうようなことが、僕にだけはたびたび起こり、しかもそれが年を追うことに多くなっていくんです。自分自身でも理由がわからないけど、そうなってくると、「僕には不思議な力がある」と思ってしまうじゃないですか! そう思い始めると、さらにさらに願ったことがすべて叶ってしまうようになり始めたんですね。良い結果がさらに良い結果を呼び込む(「富めるものはますます富む」という言葉もありますね)ということもあるし、そんな状況だから、いやでもプラス思考になってしまう。

 だけど自分の中では、「何で思ったことがすべて実現してしまうのか?」ということが最も大きな疑問でした。それに答えを与えてくれるきっかけになったのが、野口嘉則さんの「鏡の法則」でした。それに続いて、ジェームズアレンの本なども読んだのですが、科学的根拠は何もありません。疑問は解決されないけど、心理学的には正しいことだと理解しました。

 そんな中、つい最近になって、科学的根拠を与えてくれる人に出会うことができました。それが、アーヴィン・ラズロでした。

 ということで、今回は長編で行きたいと考えていますので、心理学的な話やラズロの話は次回以降にさせていただきます。

 乞うご期待!!

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