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2007年5月29日 (火)

初仕事!!

Africa4  同じような内容を過去に何度も書いたけど、今日は訳あって、もう一度書くことをお許しください。

 あさって、4月から「地球温暖化防止活動推進員」になって、初めて仕事をさせてもらえることになりました。近くの自治体の高齢者大学での講演です。自分の主催する「地球を愛する会@月形」では、何度か講演もどきのことをやらせていただいていますが、公的な立場で講演するのは今回が初めてです。

 内容的には、今まで話してきた内容に沿ったものにするつもりですが、講演の最後のお話を確認するために日記にしてみようと思います。

 僕が地球環境について真剣に考え始めたのは、つい2,3年前からです。そのきっかけは、北海道を直撃した台風18号と一昨年の記録的な大雪による農業被害なのですが、それに加えて、なぜ、みんなに伝えなければならないと思うようになったのか? それは、次の言葉に集約されているかもしれません。

『世界には二つ貧しい国がある。一つは物質的に貧しいインド。 もう一つは世界でこれだけ困っている人々がいるのにそのことに無関心でいる日本である。』 マザーテレサ

 僕は宗教者じゃないし、マザーテレサなんて、テレビで名前を聞いたことはあるけど、特別な思いいれなど全くありませんでした。それに、地球温暖化の事実を知るまでは、とても身勝手な人生を送ってきまして、長年、環境問題に取り組まれてきた方々に比べたら、人前で話すような資格など全くありません。

 だけど、事実を知ってしまったんです。日本の食糧自給率はわずか40%。残りの60%は外国から輸入している。それだけじゃなく、毎日3000万人分の食糧を廃棄している。一方で、外国では3秒に一人、子供が餓死している。僕たちの豊かな生活は、貧しい国から搾取することで成り立っていた。

 今まで、本当はどこかで聞いたことがあったはず。そう、知っていたけど、気づかないふりをして、自分の快楽の中に溺れていた。自分の身に火の粉が降りかかって、初めて気が付いた。

 事実を知らなかった昨日までの自分を責める必要はない。だけど、事実を知ってもなお気づこうとしないことは、もうできない。

 そんなこと、政治家がやることじゃないか、とか、僕たち一人一人ができることなんて、大したことないとか、そう思うかもしれない。実際、そのほんのわずかなエコ活動で、地球温暖化が止まることはない。おじいちゃん、おばあちゃんだったら、なおのこと。だけど、おじいちゃん、おばあちゃんにだってできることはある。それは、今知った事実を、一人でも多くの人に伝えること。それが、僕の一番伝えたいこと。

 僕たちは幸せになりたくて、生きてきた。日本も世界も、幸せを求めて、平和を求めて。一生懸命働いて、お金を貯めて、欲しいものを買って、たくさん夢をかなえてきた。

 だけど、今は本当に幸せな世の中だろうか? 昨日も今日も「自殺」のニュースばかり。日本の国を良くするために政治家になった人、素晴らしい歌でたくさんの人を勇気付けてくれた人。そんな人たちが自ら死んでいく世界が、本当に幸せな世界なのだろうか? 「お金」や「経済」よりもずっと大切なものがあったはず。そのずっと大切なものを求めて生きてきたはずなのに、いつのまにか「お金」に振り回され、「お金」がないと何も手に入らない世の中になってしまった。

 僕は、そんな世の中を変える人になりたいと思います。僕のできることなど、ほんの小さなことですが、同じような思いを持った人が、世界中にたくさんいて、同じように真実の言葉を伝えてくれています。

 その思いが世界中に溢れれば、必ず世界は変わると思う。自分が変わったからこそ、世界も変わると信じられる。

 地球温暖化ごときに、人類が負けるはずがない。逆に、人類が本当の幸せを取り戻す、最大のチャンスだと思います。これほどのチャンスを与えてくれたことに、またその大きな活動に参加できていることに、心から感謝しております。

 一番心配なのは、自分がすぐに感極まってしまうことです。冷静に、冷静に...。

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2007年5月22日 (火)

「地球を愛する会@月形」広報誌第5号

 「地球を愛する会@月形」の広報誌第5号を、「地球を愛する会@月形」のブログにアップいたしました!! 

 今号の内容は、北極と南極のこと、節電のこと、100万人のキャンドルナイトのこと、などです。

 月形でも「100万人のキャンドルナイト」を行う予定にしておりますが、内容は何も決まっておりません。楽しいアイディアがありましたら、ぜひご意見をお寄せください!!

http://moonflorist.seesaa.net/

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2007年5月17日 (木)

共存共栄共義主義社会

 最近、「格差是正」というキーワードがよく聞かれます。フランスでは、格差是正を訴えた候補が敗れました。世界は今や、歴史上類のないほどの格差社会になってしまっているのに、フランス国民は「格差是正」よりも、国の経済発展、国際競争力の強化を望んだようです。

 格差是正ということについてですが、理想論みたいになってしまうかもしれませんが、ちょっと書いてみます。

 ここで言う格差というのは、金銭的な差から生じるものだと思います。そして、金銭の差で格差が生じるのは、お金さえあれば何でも手に入る世の中だからではないかと思います。だから、その世界で暮らす人間はいくらきれいごとを言っても、お金で人の価値を判断してしまうし、自分自身もお金を追い求めることから決して逃れられない。

 お金の束縛から本当に離脱する道は、有り余るほどのお金を手にするか、お金が無くても生きていける絶対の自信を手に入れるか、他にもさまざまあるのでしょうが、容易なことではありません。その証拠に、社会でどれほど成功して、使いきれないほどのお金を手にしても、なおも報酬の値上げを要求するし、また、社会的に非常に高い地位に着いても、お金の魅力にとりつかれて転落してゆく人間は山ほどいました。

 それを変える方法があるとしたら、お金がいくらあっても、手に入れられる物質の量は決められている世の中にしてしまったらどうでしょうか? そうなると、今のような経済システムは成り立ちません。世の中の原動力はやはりお金、労働意欲は低下し、優秀な人間は努力しなくなって、世の中は衰退する方向に向かいます。それは共産主義の崩壊が証明したことです。

 だけど、それも、資本主義との競争の中であったから、共産主義は崩壊させられたのであって、そうでなくて、世界のすべてが共産主義のような世界であったとしたらどうでしょう? 一方で繁栄している資本主義があったから、共産主義下で生きる人々は不満を募らせていったのではないでしょうか? 世界のすべてが共産主義のような考え方になりえたとしたら? そしてそこには、地球を長い将来にわたって持続的に維持してゆくために、あまり無理して働かず、自分の食べる分だけ働いて、みんなで地球を支えあうという価値観が確立していたとしたら?

 共産主義の失敗は、資本主義よりも発展する社会を、共産主義で実現しようとしたことにあるのではないでしょうか? 共産主義の理想そのものは間違っていたわけではなかったのではないか? だけど、共産の「産」の字は産業の「産」。

 呼び方を変えるならば、共存共栄主義社会、あるいは共存共栄共義社会、というのはどうでしょうか?

 あ、僕は決して共産主義者ではありません。

 北海道では、今、山うどが旬です。今日も我が家は「うどの天ぷら」をおいしくいただきました。

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2007年5月16日 (水)

初出荷-クリスマスローズ

Dscn3492  みなさん、こんにちは!! やっと今日から、今年のお花の出荷が始まりました!! 品目は、もちろん「クリスマスローズ」!!

 昨年までは、通常の一重のクリスマスローズだけでしたが、今年は、3年がかりで株養成した八重のクリスマスローズ達が、ようやくまとまった数になDscn3494 ってきました。もしかしたら、何ケースかは販売できるかもしれません。

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2007年5月15日 (火)

祈りの力

 みなさん、こんにちは!!

 みなさんは、「祈り」の力について、どのようにお考えでしょうか? 僕は、宗教的行事としての「祈り」というものが、特別な力をもつとは思いませんし、また、「祈り」というものだけに特別な力があるとも思いませんが、「祈り」だけでなく、もちろん「祈り」というものも含めて、人間の精神的なエネルギーの発揚が、何らかの現実的効果を発揮するのではないかとは思います。

 今日は、複数の友人から、「祈り」に関するイベントの紹介を受けましたので、どのように書こうか迷ったのですが(実は迷った末に1時間以上かかってやっと書き上げたのですが、例によってまた「有効期限切れ」とかで水泡に帰し、これは僕にとっては二度目の記載です)、僕なりに書いてみようと思います。

 「祈る心は治る力(ラリー・ドッシー)」という本の中に次のような研究が紹介されています。

 例えばサンフランシスコのある病院では、心臓病集中病棟の三九三名の患者を米国内の様々な場所にいるキリスト教信者によって祈られる人のグループと祈られない人のグループに分け、両グループの患者は同じハイテク治療を受けたところ、祈られた患者の方が、いくつかの測定の結果、統計学的に見て、明らかに有意に良くなっていることが分かったという。

 祈る人は、キリスト教信者でなく、別の宗教の信者でもいいし、宗教を信じていない人でも効果に変わりはないという。また、「祈りそのものには力はない。祈りを行うと効果があるのは、祈りが効くだろうという期待感を人が持つためだ」と、プラシーボ(偽薬)効果を主張する人がいる。しかし、患者や患者に接する人に、誰が祈られ、誰が祈られていないか分からないように配慮された実験でも同じような効果があらわれているので、プラシーボ効果ではないことになる。さらに祈りの効果は、地球規模での遠距離同士で行おうと近くのベッドサイドで行おうと同じだという。

 この手の本は、その信憑性を証明できるわけではありませんので、信じるか信じないかの世界になってしまいますね。宗教的な人は、人間の祈りを神が聞き入れ、それを叶えてくれるという構図を想像するでしょうが、僕はそうは思いません。最初に書きましたが、「祈り」だけが特別な力を持つのではなく、人間の精神的なエネルギーが現実世界にも何らかの作用を及ぼすのではないかと思います。したがって、「祈り」という形を取らずとも、愛や慈悲や思いやりや平和を願う心を持ち、それを実践し、人に伝え、繋がってゆけば、それは「祈り」と同じものだと思います。

 ではそれをまずは肯定するとして、その理論的根拠をどこに求めるかというと、ユングが最初に表現した「集合的無意識」だと思うのです。「集合的無意識」の世界では、すべての人間が繋がっている。そして、人間が神と感じるのが「集合的無意識」だそうです。

 それを近年、より科学的な表現に近づけたのが、アーヴィン・ラズロ氏で、彼は、「集合的無意識」のことを「量子真空エネルギー場」と表現しました。他に、「アカシックフィールド」とか「ゼロポイントフィールド」という表現もありましたが、科学的探求の末に、「量子真空エネルギー場」と呼ぶのがふさわしいと考えたのでしょう。

 で、ここからが本題で、ついてきてくれている人がいるか心配ですが、そのアーヴィンラズロ氏が呼びかけている、壮大な「祈り」の実験についての紹介を受けました。「実験」と表現したのは、この行事はある意味では宗教的行事であり、ある意味では平和的な行事でもありますが、彼は、何十万人の人間が同時に祈ることで生み出された精神的なエネルギーを観測することで、その力を証明できるのではないかと考えているようです。

 このような行事の噂は、最近「地球温暖化」等の影響なのか、終末思想的な団体が増えており、頻繁に耳にするようになりました。それぞれの行事を否定するわけではありませんが、僕は、現代の科学と照らし合わせた時に、どう考えても合致しない宗教については、ちょっとどうかと思います。

 そんな中で、ではこの行事はどうなのか?、ということですが、本当にそんな観測が可能なのか、用意した機器で本当に観測できるのか、詳細はわかりませんので、紹介されたページを掲載いたします。

原文(英文)のページ
http://www.commonpassion.org/partners/cob.html

日本語訳のページ(公式ページではないと思います)
http://blog.goo.ne.jp/heywa

紹介してくれた友人のページ
http://akikosinjin.blog85.fc2.com/

 参加するかどうかは、みなさん次第ということで!! ちなみに僕ですが、多忙の折り、イベント参加はもちろんできませんが、騙されたと思って、ビニールハウスの片隅で参加してみてもいいかなと思っています。

 あー、2時間もかかった...。最初に書いたのとは、ずいぶん違っちゃったし...。

 こういう時って、「この日記は書かない方がいいよ」っていう警告とか、逆に、「この日記はそれほどの意味があるんだから、邪魔されるんだ。何としても仕上げろ」とか、特に夜遅くなって朦朧としてくると、自分の中の不思議な世界が開けてくるんですよね。そういうのって、みんなもあります?

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2007年5月 8日 (火)

食糧事情その3

 このブログの内容は、ミクシィの方でも発信しているのですが、ミクシィの方で非常に多くの反響がありましたので、その反響に対して、私が書いた意見を「その3」ということで書かせていただきます。

---「人間のとしての倫理の問題だと思っています」と、私が書いたことに対して、「倫理観」というのがよくわからないとの意見をいただきました。それに対して、

 僕は、「倫理観」が一番大切だと思い、それに基づいて考えますが、実はバイオエタノールの話は、「倫理観」など絡めなくても、日本が危機的な状況に追い込まれるであろうことは明白なんですよ。

 アメリカやブラジルは、国家戦略としてバイオエタノール生産を進めています。農業資源と石油を同じステージに乗せるため。アメリカは現在、食糧輸出国ですが、石油は輸入国です。石油は、中東のように戦略物資として扱えます。すなわち、他国を支配する道具として使えます。一方、食糧は本来はもっと貴重なものなのに、人道的な見方をされてしまうので、支援物資としては使えても、食糧をえさに他国の支配を試みようとするのは倫理的に抵抗があります。

 アメリカは現在、世界有数の食糧輸出国ですが、今後、食糧と石油が互換性のあるものとしてしまうことで、国家として価値の低かった食料の輸出を減らし、戦略物資として価値の高い燃料に変えてしまったのです。アメリカが全とうもろこしの半分を燃料用に使ってしまったら、日本に入ってくる家畜の飼料など、ほとんどなくなりますよ(あるいは、価格が上昇して、輸入できなくなる)。

 ここで日本に立ち返って考えると、日本は食糧自給率は40%、エネルギー自給率は5%、どちらも話にならないのに、食糧の価格は、現在と比べ物にならないくらい急騰するでしょう。僕は農家ですから、どんな状況になっても食べ物はありますが、Kさんはどうしますか? コンビニに行っても、食べ物が並んでいない、という状況は、いつ来てもおかしくないんですよ。

 もっと事実を知りたいのであれば、

レスター・ブラウン
「プランB2.0―エコ・エコノミーをめざして」

デニス・メドウズ (著), 枝廣 淳子 (翻訳)
「成長の限界 人類の選択」

 がお勧めです。何でもそうですが、システムの崩壊というのは、徐々に起こってくるのではなく、ある日突然訪れます。このままいったら、いつか崩壊するだろうとわかっていても、人間はなかなかそれを認めることができません。僕がこんなこと書いても、「このおじさん、いろいろと妄想しているなあ」というくらいしか思わないだろうと思います。

 僕が書いたことが真実であるのかどうか、上記の2冊の本から、ご本人が判断されるのが一番ではないかと思います。

 と答えました。次に、バイオ燃料全般についての意見もいただきましたので、

 たとえば、廃油からのバイオディーゼルというのもありますし、バイオ燃料すべてを否定するつもりはありません。ただ、先に節約ありきを忘れてしまってはいけないと思います。

 それと、セルロースからのバイオエタノールですが、これも若干の危険をはらんでいると思います。今まで畑で燃やしていた不用物としてのわらを燃料に、ということで、一石二鳥の発想に思えますが、本来、わらは堆肥にして土に還すべきで、非常に長い目で見れば、化学肥料を主体とした農業の廃棄物という考え方が、いつまで通用するのか、ということも僕は考えます。

 あと、セルロースからエタノールの製造が可能であるとして、それがお金としてのコストとしては成り立つとしても、エネルギーコスト的に成り立つのか、はなはだ疑問です。

 とうもろこしからのバイオエタノールにしても、助成金があるからコスト的に成り立っているだけで、エネルギーコストとしてはマイナスという研究もあります。

 研究段階でいろいろやるのは必要だと思いますが、実用段階に当っては、慎重にならなければまずいと思っています。

 と答えました。次に、農家としては(北海道としては)、バイオエタノール生産はチャンスと捉えるべきであるというような意見もいただきました。それに対しては、

 戦略的に考えれば、燃料と食糧の互換性が生じたことで、食糧供給基地としての北海道の価値は非常に高くなるのではないかと思います。

 「倫理」という前に、国内問題、あるいは北海道問題に立ち返れば、Aさんのおっしゃることの方がはるかに正論なのかもしれません。

 ただ私としては、それは人類全体の問題を先送りするだけになってしまうと思うのです。燃料と食糧の互換性が成り立つということは、地球温暖化問題と人口問題が、燃料と食糧というアイテムを通して、一つに繋がってしまったと思います。

 だからこそ、理想的に解決する方法は、人道的、あるいは道徳的という観点に立ち返って、人間が価値観を変えていくしかないと思っています。

 その価値観の転換とは、経済(お金)中心、利己主義(自己中心)の考え方から、地球環境中心、すべての人の幸せを願う利他主義への転換です。それができなければ、人間社会は、僕にとっては非常に悲しい社会(現状よりもさらに進んだ格差社会)になってゆくと思います。

 また、理想ばかりを訴えても、現実に食べていかなければならない、という意見もいただきました。それについては、

 僕は、「理想論に向かって、今すぐすべての欲を捨ててしまいましょう」などとは言いません。実際、そのようにできる人がいるとも思いません。理想があることを知りながらも、自分のできる範囲のことしか実行できないのが、人の常だからです。

 僕の書いていることを受け入れられる人は少数だろうし、すぐに実行できる人は皆無だろうし、僕自身も自給自足生活しているわけではないし、現実社会の大多数は、何らかの規制無しでは自分の生活を変えることなど不可能であると思います。

 ただその中で、私が「理想」というものにこだわる理由は、現実にはどれほどの妥協をしなければならない状況であっても、「理想」という心の世界を妥協する必要はないし、遠い将来に向かってのしっかりとした理想がなければ、途中で道を踏み誤るであろうと思うからです。

 もちろん、今の時点で形成された「理想」が、必ず正しいものであるとは限りませんが、その「理想」という大きな目的を心に思い描いて生きること、それが今の社会に欠けている、本来最も必要なものの一つであると思います。

 日本人の多くは、お金のためとは言わないまでも、お金に縛られて生きています。競争社会、格差社会の中で生きています。その戦いで敗れた人間は、娯楽の中で生きるか、敗北を甘んじて受け入れるか、または自殺するか(年間3万人の自殺者)、精神に異常をきたすか、そんな深刻に考えなくても、と言われそうですが、自殺者3万人の社会というのは異常としか言いようがありません。

 それは、目先の生活、短期の目的に追われ、人間としてどう生きるか、という大切なものを失ったことが大きいと僕は考えています。

 話がかなりそれましたが、僕的には、環境問題は環境問題だけにあらず、人類のすべての問題に繋がる非常に大きな問題だと考えています。

 そしてそれには、すべての人がそれぞれの事情を越えて互いを認め合い、喜びも苦しみも分かち合うしかないのだと思います。

 僕は、大阪の都会出身で、今は北海道の農家ですから、都会の事情も田舎の事情も知っているつもりです。だけど、そのような小異とは比べ物にならないくらい、はるかに大きな苦しみ(飢餓)の中で生きている人々が海外にはいるということは、決して忘れてはならないと思います。

 僕はいつも、「自分ほど恵まれている人間はいない」と思いながら生きています。僕がどれほど訴えたところで、発展途上国の人々が今すぐに飢餓から救われるわけではありませんが、「僕たちは同じ人間として、生きているということほど、恵まれたことはない」ということは、伝えることはできます。

 そのための行動をすることが僕の生きている意味であると思い、日々過ごしております。

 途中、もっとたくさんのやりとりがあって、それをすべてお伝えできればいいのですが、ご意見をくださった方の了解も得なければなりませんので、私が書いたことのみをこちらにも転記いたしました。

 もしミクシィに興味を持たれた方がおられましたら、私の方までメールなりいただければ、紹介させていただきます。

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2007年5月 4日 (金)

食料事情:(昨日の続き)

 前回のブログはかなり急いで書いたので、朝になってもう一度冷静に書きたくなりました。

「穀物を燃料にするか、食糧にするか?」

 僕は、この一線だけは絶対に越えてはいけないと考えています。もちろん穀物が、すべての人間が満腹になるまで食べても、まだ十分に余っている、というのであれば話は別ですが、現状では、すでに不足しており、10億人の人が飢えに苦しんでいると聞いています。

「100リットルのエタノールを作るために必要な穀物の量は、一人の人間の一年間の穀物に相当する」--レスター・ブラウン

 ということは、ガソリンに3%のバイオエタノールを混合するとして、50リットルのタンクを満タンにするのに必要なエタノールの量は1.5リットル、すなわち一回ガソリンを給油すると、一人の人間の5日分の穀物を奪っていることになります。

 マリー・アントワネットが、フランス革命前に民衆が貧困と食料難に陥った際、「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」と発言したと言われています(これは本人の言葉ではないとも言われていますが)。それでもこれは、食べ物と食べ物の比較です。

 今の私達はそのレベルではありません。食べ物をガソリンに変えようとしているのですから。

 このような事実を知ってもなお、私達は無関心でいられるとしたら、私達日本人は「地球温暖化」を乗り越えて生き続けることは不可能だろうし、生き続ける価値すらないと思います。

 フランス革命の時、バスティーユには大砲がありました。だけど大砲では、市民の怒りは抑えられず、フランスは変わりました。

 だけど今、世界の権力者たちは「核兵器」を持っています。地球を完全に破壊し尽くすほどの核兵器です。核兵器で脅されていて、飢えで苦しむ無力な人たちが、どのようにして愛と自由と幸せを求めうるのでしょうか?

 彼らに愛と自由と幸せをもたらすことができるのは、権力者の側にある私達自身であると思います。

 「自分一人が行動しても、何も変わらない」などと考える前に、行動するしかない、そう思います。

 僕は、バイオエタノールを販売している石油元売各社に抗議のメールをこれから書きます。

 頭の痛くなるような話題ばかりで申し訳ありませんでした。

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食料事情:世界的に悪化の懸念 需要急増や環境問題で

http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070504k0000m020044000c.html

 今日の毎日新聞のネットニュースです。ぜひご覧ください!!

 何日くらいリンクできるのかわからないので、要点だけ書いておきますと、穀物をバイオ燃料に振り向けていること、中国やインドの経済発展などの影響で、穀物をはじめとするあらゆる食料の価格が高騰し始めているという記事です。

 昨日、ブログ書いたばかりなのに、珍しく、連日のブログとなりました。素通りできないニュースでしたので。前のブログの「秘密の湿原」も、ぜひごらんくださいね!!
 
 こうなることは、初めからわかっていたことで、環境関連の有識者はみな警鐘を鳴らしていました。なのに、バイオエタノールが温暖化問題を解決するなどと、日本、アメリカ、ブラジルなどは未だに開発を続けています。

 バイオエタノールの問題。穀物を燃料にするか、食糧にするか? これは、「温暖化問題」ではなく、人間のとしての倫理の問題だと思っています。自分の楽しいカーライフのために、発展途上国の飢餓で苦しむ人々の食べ物を奪うことです。

 僕ら人類が、地球上で生き続ける価値のある生物なのかどうか、まさに問われていると僕は思います。

 「食糧を燃料にする」という考え方に、僕が断固として反対します!!

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2007年5月 3日 (木)

秘密の湿原

Dscn3466  久しぶりのブログです。ご無沙汰しておりました。まだ生きてますよ! いろいろと忙しくて、申し訳ありません。

 昨日は雨と強風で嵐のような一日でしたが、今日はとっても暖かくて、清々しい日でしたので、幻の滝に続いてもう一つの秘密の場所、プライベート湿原に行ってまいりました。

Dscn3469  「幻の滝(http://moonflorist.way-nifty.com/moonflorist/2007/04/post_39eb.html)を少し下ったところが開けた湿地になってまして、今は水芭蕉が咲き乱れております。

 写真の白い花はもちろん「水芭蕉」、黄色い花は「エゾノリュウキンカ」、別名「やちぶき」と呼ばれていまして、山菜として有名ですね。

Dscn3473  夏になると、葦(よし)が伸びて、鬱蒼とした湿原に変わってしまいますので、今が最高に素敵です。

 ついでに、ムービーもアップします。撮影中、子供が水の中に足を突っ込んでしまいました。ま、湿原に運動靴で来たのがそもそもの間違いでしたが....。

「shitugen.wmv」をダウンロード

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