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2007年5月 8日 (火)

食糧事情その3

 このブログの内容は、ミクシィの方でも発信しているのですが、ミクシィの方で非常に多くの反響がありましたので、その反響に対して、私が書いた意見を「その3」ということで書かせていただきます。

---「人間のとしての倫理の問題だと思っています」と、私が書いたことに対して、「倫理観」というのがよくわからないとの意見をいただきました。それに対して、

 僕は、「倫理観」が一番大切だと思い、それに基づいて考えますが、実はバイオエタノールの話は、「倫理観」など絡めなくても、日本が危機的な状況に追い込まれるであろうことは明白なんですよ。

 アメリカやブラジルは、国家戦略としてバイオエタノール生産を進めています。農業資源と石油を同じステージに乗せるため。アメリカは現在、食糧輸出国ですが、石油は輸入国です。石油は、中東のように戦略物資として扱えます。すなわち、他国を支配する道具として使えます。一方、食糧は本来はもっと貴重なものなのに、人道的な見方をされてしまうので、支援物資としては使えても、食糧をえさに他国の支配を試みようとするのは倫理的に抵抗があります。

 アメリカは現在、世界有数の食糧輸出国ですが、今後、食糧と石油が互換性のあるものとしてしまうことで、国家として価値の低かった食料の輸出を減らし、戦略物資として価値の高い燃料に変えてしまったのです。アメリカが全とうもろこしの半分を燃料用に使ってしまったら、日本に入ってくる家畜の飼料など、ほとんどなくなりますよ(あるいは、価格が上昇して、輸入できなくなる)。

 ここで日本に立ち返って考えると、日本は食糧自給率は40%、エネルギー自給率は5%、どちらも話にならないのに、食糧の価格は、現在と比べ物にならないくらい急騰するでしょう。僕は農家ですから、どんな状況になっても食べ物はありますが、Kさんはどうしますか? コンビニに行っても、食べ物が並んでいない、という状況は、いつ来てもおかしくないんですよ。

 もっと事実を知りたいのであれば、

レスター・ブラウン
「プランB2.0―エコ・エコノミーをめざして」

デニス・メドウズ (著), 枝廣 淳子 (翻訳)
「成長の限界 人類の選択」

 がお勧めです。何でもそうですが、システムの崩壊というのは、徐々に起こってくるのではなく、ある日突然訪れます。このままいったら、いつか崩壊するだろうとわかっていても、人間はなかなかそれを認めることができません。僕がこんなこと書いても、「このおじさん、いろいろと妄想しているなあ」というくらいしか思わないだろうと思います。

 僕が書いたことが真実であるのかどうか、上記の2冊の本から、ご本人が判断されるのが一番ではないかと思います。

 と答えました。次に、バイオ燃料全般についての意見もいただきましたので、

 たとえば、廃油からのバイオディーゼルというのもありますし、バイオ燃料すべてを否定するつもりはありません。ただ、先に節約ありきを忘れてしまってはいけないと思います。

 それと、セルロースからのバイオエタノールですが、これも若干の危険をはらんでいると思います。今まで畑で燃やしていた不用物としてのわらを燃料に、ということで、一石二鳥の発想に思えますが、本来、わらは堆肥にして土に還すべきで、非常に長い目で見れば、化学肥料を主体とした農業の廃棄物という考え方が、いつまで通用するのか、ということも僕は考えます。

 あと、セルロースからエタノールの製造が可能であるとして、それがお金としてのコストとしては成り立つとしても、エネルギーコスト的に成り立つのか、はなはだ疑問です。

 とうもろこしからのバイオエタノールにしても、助成金があるからコスト的に成り立っているだけで、エネルギーコストとしてはマイナスという研究もあります。

 研究段階でいろいろやるのは必要だと思いますが、実用段階に当っては、慎重にならなければまずいと思っています。

 と答えました。次に、農家としては(北海道としては)、バイオエタノール生産はチャンスと捉えるべきであるというような意見もいただきました。それに対しては、

 戦略的に考えれば、燃料と食糧の互換性が生じたことで、食糧供給基地としての北海道の価値は非常に高くなるのではないかと思います。

 「倫理」という前に、国内問題、あるいは北海道問題に立ち返れば、Aさんのおっしゃることの方がはるかに正論なのかもしれません。

 ただ私としては、それは人類全体の問題を先送りするだけになってしまうと思うのです。燃料と食糧の互換性が成り立つということは、地球温暖化問題と人口問題が、燃料と食糧というアイテムを通して、一つに繋がってしまったと思います。

 だからこそ、理想的に解決する方法は、人道的、あるいは道徳的という観点に立ち返って、人間が価値観を変えていくしかないと思っています。

 その価値観の転換とは、経済(お金)中心、利己主義(自己中心)の考え方から、地球環境中心、すべての人の幸せを願う利他主義への転換です。それができなければ、人間社会は、僕にとっては非常に悲しい社会(現状よりもさらに進んだ格差社会)になってゆくと思います。

 また、理想ばかりを訴えても、現実に食べていかなければならない、という意見もいただきました。それについては、

 僕は、「理想論に向かって、今すぐすべての欲を捨ててしまいましょう」などとは言いません。実際、そのようにできる人がいるとも思いません。理想があることを知りながらも、自分のできる範囲のことしか実行できないのが、人の常だからです。

 僕の書いていることを受け入れられる人は少数だろうし、すぐに実行できる人は皆無だろうし、僕自身も自給自足生活しているわけではないし、現実社会の大多数は、何らかの規制無しでは自分の生活を変えることなど不可能であると思います。

 ただその中で、私が「理想」というものにこだわる理由は、現実にはどれほどの妥協をしなければならない状況であっても、「理想」という心の世界を妥協する必要はないし、遠い将来に向かってのしっかりとした理想がなければ、途中で道を踏み誤るであろうと思うからです。

 もちろん、今の時点で形成された「理想」が、必ず正しいものであるとは限りませんが、その「理想」という大きな目的を心に思い描いて生きること、それが今の社会に欠けている、本来最も必要なものの一つであると思います。

 日本人の多くは、お金のためとは言わないまでも、お金に縛られて生きています。競争社会、格差社会の中で生きています。その戦いで敗れた人間は、娯楽の中で生きるか、敗北を甘んじて受け入れるか、または自殺するか(年間3万人の自殺者)、精神に異常をきたすか、そんな深刻に考えなくても、と言われそうですが、自殺者3万人の社会というのは異常としか言いようがありません。

 それは、目先の生活、短期の目的に追われ、人間としてどう生きるか、という大切なものを失ったことが大きいと僕は考えています。

 話がかなりそれましたが、僕的には、環境問題は環境問題だけにあらず、人類のすべての問題に繋がる非常に大きな問題だと考えています。

 そしてそれには、すべての人がそれぞれの事情を越えて互いを認め合い、喜びも苦しみも分かち合うしかないのだと思います。

 僕は、大阪の都会出身で、今は北海道の農家ですから、都会の事情も田舎の事情も知っているつもりです。だけど、そのような小異とは比べ物にならないくらい、はるかに大きな苦しみ(飢餓)の中で生きている人々が海外にはいるということは、決して忘れてはならないと思います。

 僕はいつも、「自分ほど恵まれている人間はいない」と思いながら生きています。僕がどれほど訴えたところで、発展途上国の人々が今すぐに飢餓から救われるわけではありませんが、「僕たちは同じ人間として、生きているということほど、恵まれたことはない」ということは、伝えることはできます。

 そのための行動をすることが僕の生きている意味であると思い、日々過ごしております。

 途中、もっとたくさんのやりとりがあって、それをすべてお伝えできればいいのですが、ご意見をくださった方の了解も得なければなりませんので、私が書いたことのみをこちらにも転記いたしました。

 もしミクシィに興味を持たれた方がおられましたら、私の方までメールなりいただければ、紹介させていただきます。

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