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2007年5月17日 (木)

共存共栄共義主義社会

 最近、「格差是正」というキーワードがよく聞かれます。フランスでは、格差是正を訴えた候補が敗れました。世界は今や、歴史上類のないほどの格差社会になってしまっているのに、フランス国民は「格差是正」よりも、国の経済発展、国際競争力の強化を望んだようです。

 格差是正ということについてですが、理想論みたいになってしまうかもしれませんが、ちょっと書いてみます。

 ここで言う格差というのは、金銭的な差から生じるものだと思います。そして、金銭の差で格差が生じるのは、お金さえあれば何でも手に入る世の中だからではないかと思います。だから、その世界で暮らす人間はいくらきれいごとを言っても、お金で人の価値を判断してしまうし、自分自身もお金を追い求めることから決して逃れられない。

 お金の束縛から本当に離脱する道は、有り余るほどのお金を手にするか、お金が無くても生きていける絶対の自信を手に入れるか、他にもさまざまあるのでしょうが、容易なことではありません。その証拠に、社会でどれほど成功して、使いきれないほどのお金を手にしても、なおも報酬の値上げを要求するし、また、社会的に非常に高い地位に着いても、お金の魅力にとりつかれて転落してゆく人間は山ほどいました。

 それを変える方法があるとしたら、お金がいくらあっても、手に入れられる物質の量は決められている世の中にしてしまったらどうでしょうか? そうなると、今のような経済システムは成り立ちません。世の中の原動力はやはりお金、労働意欲は低下し、優秀な人間は努力しなくなって、世の中は衰退する方向に向かいます。それは共産主義の崩壊が証明したことです。

 だけど、それも、資本主義との競争の中であったから、共産主義は崩壊させられたのであって、そうでなくて、世界のすべてが共産主義のような世界であったとしたらどうでしょう? 一方で繁栄している資本主義があったから、共産主義下で生きる人々は不満を募らせていったのではないでしょうか? 世界のすべてが共産主義のような考え方になりえたとしたら? そしてそこには、地球を長い将来にわたって持続的に維持してゆくために、あまり無理して働かず、自分の食べる分だけ働いて、みんなで地球を支えあうという価値観が確立していたとしたら?

 共産主義の失敗は、資本主義よりも発展する社会を、共産主義で実現しようとしたことにあるのではないでしょうか? 共産主義の理想そのものは間違っていたわけではなかったのではないか? だけど、共産の「産」の字は産業の「産」。

 呼び方を変えるならば、共存共栄主義社会、あるいは共存共栄共義社会、というのはどうでしょうか?

 あ、僕は決して共産主義者ではありません。

 北海道では、今、山うどが旬です。今日も我が家は「うどの天ぷら」をおいしくいただきました。

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コメント

世の中の発展の原動力はお金という発想には意義を唱えます
私は世の中の発展の原動力は自分の帰属する組織に対する
貢献だと思います。その最小単位が家庭、親だったり、子供だったり、兄弟であったりと、そして自分の故郷だったり、自分の国だったりと、その貢献の度合いを測る一つの目安としてお金があると思います。子供を育てるのに子供にお金を請求するでしょうか?
親が自分にお金をくれないから親の世話を放棄するでしょうか?
貢献とは言葉を変えれば愛だと言えると思います
共存共栄共義主義社会というのはそういう社会に貢献したいという
愛情が動機となって発展する社会だと思います

投稿: | 2013年5月23日 (木) 02時34分

 コメントありがとうございます。

「愛」って何でしょうか? 私は、人類の社会的進化における最大の成果こそ「愛」の進化であり、「愛」の発展であると考えていましたが、イエスキリストや釈迦以降、あまり進歩していないように思います。

 生物学者のリチャードドーキンスは、遺伝子の近さが「愛」と言われるものの正体であり、そこには自己中心で冷徹な事実があるだけだということを書いていました。

 それがもし本当の事実だとしたら、人間が長年に渡って、何代にも渡って築いてきた「愛」のある社会など何の価値もなく、ただ継続を求め続ける遺伝子の要求に応えてきただけになってしまう、だけどそれで私は納得したくないから、いつも複雑なこと考えています。

投稿: 青い芥子 | 2013年5月23日 (木) 06時53分

愛というのはそんな難しいものではないと思います
自分の子供を大切に思い、学校へ行かせたり、食事を作ってあげたり、一緒に遊んであげたりとごく当たり前の人間の行動だと思います
それは親に対しても、あるいは自分の兄弟に対しても同じだと
思います。同じことは学校の時の友達とかにも言えると思います
血のつながり必ずしも重要ではないと思います。
自分の周りの人に何かしてあげたいと思う心が、貢献したいと
思う心だと思います。その中には遠く離れた友達や家族がいるかもしれません。私はアメリカでの生活が長いので、アフリカ、ヨーロッパ、中国、マレーシア、シンガポール、タイ、インドにもそういう友達はいます。その友のために何かしてあげたいという気持ちと行動が愛だとおもいます

投稿: | 2013年5月25日 (土) 07時41分

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