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2008年4月26日 (土)

集合的無意識と遺伝子

 私達の意識の根底にある「集合的無意識」は、たとえば、次のように説明されます。

 普段、私たちが意識している顕在意識は、氷山にたとえれば、海の上に顔を出している部分にしかすぎない。つまり、顕在意識が意識という大きなパイの中に占める割合はほんの一部分にしかすぎない。

 そして海中に沈んでいる部分、つまり意識の大部分が無意識によって構成されている。

 またさらに、この無意識の部分は、生まれてから現在に至るまでの個人的な経験から構成された個人的無意識と、そのさらに奥深くに広がる集合的無意識とから構成されている。

 集合的無意識とは、個人の経験の領域を超えた人類に共通の無意識領域のことを言います。

 一方、遺伝子は、リチャードドーキンスによると、次のように説明される。

 我々は遺伝子という名の利己的な存在を生き残らせるべく盲目的にプログラムされたロボットなのだ。遺伝子は、マスター・プログラマーであり、自分が生き延びるためにプログラムを組む。個体というものは、その全遺伝子を、後の世代により多く伝えようとする。自然淘汰における中心的な役割を演じているのは、遺伝子と生物個体である。

 
 集合的無意識の立場からすると、遺伝子に支配されているとされる利己的な行動は、顕在意識に支配されているに過ぎず、その奥底の集合的無意識に気づいていない、と説明できる。

 遺伝子の立場からすると、ある個体が一見利他的な行動を取っているように見えても、遺伝子レベルで見ると利己的な行動が異なった現れかたをしているに過ぎず、遺伝子はどこまでいっても利己的である。

 いったいどちらが本当なのでしょうか?

 個人レベルで考えても、自分を犠牲にして人助けしようとしている人の姿を見て感動する自分がいる。心に清々しさを感じる。これはなぜなのだろう? 自分の心の根底に、利他的な行動を善しとする何かがあるからではないだろうか?

 その一方で、心が性欲に支配されて、反社会的な願望を抱くことがある。遺伝子に支配されていることを痛切に感じる。

 このことは、先に存在したのは、生命なのか、意識なのか、ということにも通じると思う。

 生命があって脳があって、はじめて意識というものが誕生したのだ、という方が、すんなり理解しやすい。だがそうだとすると、やはり人間はどこまでいっても利己的な遺伝子の支配を逃れられない。

 だが最近の哲学者および異端の科学者は、生命誕生よりも前に、原始的な意味での「意識」というものが存在しており、これが「集合的無意識」と呼ばれたり、場合によっては、「神」と呼ばれたりもした、という。

 この後者の立場はにわかには信じ難いが、非常に興味深い。

 というのは、私自身が、意識が先に存在していたという説が正しい、と信じたいからに他ならない。

 それは、これから人類が、地球温暖化を始めとする環境問題、石油や食糧が足りなくなる不足の時代を迎えるにあたって、どのような方向に進んでゆくのかを決定づける、根源的な要因であると考えるからである。

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