2006年11月18日 (土)

生命の目的

 生命は、人類であれ、動物であれ、微生物であれ、同じ一つの目的を持っていると思っています。同じ一つの生命から始まったからです。「生命の目的」を問うと、「自己の存続」、あるいは「自己の複製の増殖」という答えが返ってきますが、それは目的ではなく、結果ではないでしょうか?

 「自己の存続」と「自己の複製の増殖」の中で、「自己の存続」は後から生じたものであり、「自己の複製の増殖」の方が最初からあったと思います。なぜなら、進化した生物体ほど寿命が長いからです。また、単純な生命は遺伝子の交流は行わず、自己の完全なる複製だけを行っています。単純な生命ほど、本来の「生命の目的」通りに生きていると思います。

 「自己の複製」のためには、太陽と地球から得たエネルギーを費やして、新しい生命のために自身を犠牲にしなければならない。そう、自身を与えることこそが、生命の目的ではないかと思うのです。それが、私達の最も深いところにある、潜在意識の中にきちんと存在すると思うのです。だけど、人間は進化しすぎたために、文明が発達しすぎたために、潜在意識に触れることがほとんどできなくなってしまった。だけど、ごくわずかな人だけが、潜在意識にまで到達することができた。それがイエスキリストや釈迦であったと思います。

 「性善説」、「性悪説」という言葉がありますが、潜在意識の中では、すべての人間は善であるのに、その自分の中の善に気づかずに生まれ、気づかずに育ち、気づかずに死んでゆく。すなわち、本当は「性善説」が正しいのに、「性悪説」のような世の中になってしまい、だから、家庭教育や学校教育、社会教育がしっかりしなければならない、と必死になっていますが、発展途上国の、特に原始生活に近い生活をしているような民族には、難しい社会教育も学校教育もないけど、「ストレス」も「肩こり」もないし、ましてや「自殺」など、全く理解不能なことだそうです。

 自殺の問題にしても、地球環境の問題にしても、人々の意識の転換、新しい価値観の樹立こそが根本的解決の唯一の方法であると思いますが、それは無理矢理に都合のいい新しい価値観を作り出して、押し付け教育をしようという話ではなく、私達自身の心の中にある、本来それこそが私達の本質であるところの「生命の目的」に還れば、辿り着けると思います。迷子の子供が自分の家に帰るように、新しい価値観に還り着くことができると思います。

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2006年5月14日 (日)

ウルトラセブン

 私は、特別何かのマニアというわけではなく、いろんな分野をちょっとずつかじっているような中途半端な人間です。というわけで、今日はウルトラセブンについて。

 ウルトラセブンの最終回は、私が生まれて初めて「正義」に感動し、涙した作品でした。こちらも、私のウンチクよりも実際に作品をごらんになられることをお勧めします。私という人間は、子供の頃は友人が少ない、寂しい奴だったので、はっきり言って「テレビっ子」でした。人並みに「そろばん塾」にも通っていましたが、ウルトラマンシリーズのテレビ放送と時間が重なったので、親に勝手に辞めました。その頃は「テレビっ子」である自分自身が実は悲しかったのですが、そのようには思われたくないので、さらに自主的に「テレビっ子」を強めてゆきました。だけどその結果、ウルトラマンシリーズや数々のヒーローアニメを通して、私の中の正義感が強化されてゆきました。今では「テレビっ子」だったことは私の誇りです。

 最終回、セブンはボロボロに傷ついた体で、死を覚悟して最後の戦いを挑みます。勝利しても、敗北しても、二度とモロボシダンには戻れないことを彼は知っています。だから、最愛のアンヌ隊員に自分がウルトラセブンであることを告白し、「東の空に.......」の名文句を残して旅立ちます。バックで流れるシューマン。これほど美しく、かっこよく、そして正義に溢れた男の生き様を私は今まで見たことがなかった。私もこんな生き方をしたい、と心から思いました。その頃はもちろんビデオなんてありませんでしたから、何度も何度も再放送を見続けました。小学校の友達はみんな大人びてゆき、「太陽にほえろ!!」のジーパンの殉職の話題で盛り上がっていても、僕の心の中にはいつもウルトラセブン、それから次回以降の話題にする予定ですが、「キャシャーン」や「ミラーマン」など、ただひたむきに「正義」のためだけに生きたスーパーヒーロー達が生きつづけていました、もちろん今でもです。

 最近のテレビアニメを見ていると、すべてそうだと決め付けるわけではありませんが、「正義」と「悪」が曖昧になっているように思えます。それは細かい情感を描こうとしていたり、現実には何が正義で何が悪かはっきりしないということはわかりますが、それは大人としては正常な感覚なのでしょうが、幼い子供の立場に立って考えてみれば、そういうアニメの描き方が正しいことであるとは私は思えません。実際、私自身が上記のように正義のヒーロー達を見て育ち、明確な正義感というものを植えつけられたわけですから。

 それでは、「正義感」というものは人間に初めから備わっているのか、人生の経験の中で養われていくのか? 上の展開からゆくと、私の正義感はヒーローアニメによって形成されたということになります。しかし、次のようにも考えられます。すなわち、ウルトラセブンの最終回に感動し涙した、ということは、その正義を貫く姿に共感できる感情をその頃すでに心の中に持っていたと。で、私なりの結論ですが、子供の心の中には、いろいろな感情の元になる「種」のようなものがあるのではないでしょうか? 「正義」も「愛」も「悪」も「憎しみ」も、どのようにも成長できる感情の「種」。その種には、「正義」のエネルギーを与えれば「正義」の心が育ち、「悪」のエネルギーを与えれば「悪」の心が育つ。

 自殺の増加や引きこもりなど、今の日本社会がこんなに悲しい状態になってしまっているのは、今の子供たちに原因があるのではありません。子供たちに感情の元になるエネルギーを与えてきたのは大人です。そしてその大人たちも、子供の頃にさらに上の大人たちからエネルギーを与えられてきた。

 「正義」や「愛」、「優しさ」、「思いやり」など、心の教育を長年にわたって曖昧にし、学問や経済、金儲けの教育ばかりにエネルギーを注いできた結果が今の日本社会だと思います。もっともっと、社会全体で子供たちの教育を考え直し、すべての大人が子供の心の教育に参加しなければならないと思います。もちろん、自分たちの再教育も含めてです。また書きすぎてしまいました。すいませんでした。

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2006年3月10日 (金)

無責任な大人たち

 大人という生き物はなんて無責任で自分勝手なんだろうと、自分が大人になってみて気がついた。

 たとえば、飲酒。先日、駒大苫小牧の野球部員が飲酒しているのを通報されて、甲子園出場辞退になった。過去に他の高校でも同じような事例が何度もあって、複数回同様な案件のニュースを繰り返し聞いていると、そのことの本質に特に疑問を感じること無しに、出場辞退になるという事実を当たり前のように受け入れてしまう。だけど、それって本当に正しいのだろうか? 大人はいくら酒を呑んでも罰せられることはないのに、未成年はほんのわずかも口にすることは許されない。それって本当に正しいの? もちろん、医学的な観点とか、教育的な観点とか、いろいろと理由付けはできるだろう。だけど、それならどうして大人は無制限に許されるのだろうか? 大人だって、酔っ払った勢いで暴力事件を起こしたり、女性を襲ったり、飲酒運転で人を轢き殺したり、未成年よりもはるかに重大な事件を起こしている。それらはもちろん刑法だとか道路交通法だとかで罰せられるが、だけど飲酒によってそのような状態になること自体が危険なはずなのに、どうして大人の飲酒に制限を加えようとはしないのか? 大人の作る社会ルールは大人にはとにかく甘く、子供には厳しい。だけど、子供の失敗は子供のせいとして処理し、大人たち自身に問題があるということを決して認めようとはしない。僕はおかしいと思う。だから子供たちは要領よく生きることが正しいことだと考え、影で悪いことをすることが正しい生き方だと考えるようになる。

 たとえば、たばこ。最近は特に、健康上問題があることがはっきりとわかった。特に、喫煙者本人よりも周囲の人たちに副流煙という形でさらに大きな健康被害を与えることが明らかになった。世の中では当然のように分煙化がすすみ、喫煙者の肩身は確かに狭くなってはきている。その流れに関しては、好ましいことだとは思うが、だけど、そこまで確かに問題があることが判明していながら、したがって、女性だからどうとか、未成年だからどうとかいう問題ではないことが判明していながら、どうしてさらに一歩進んだ政策が取れないのだろうか? 未成年に喫煙を禁じていた理由はなんだったのか? 青少年の健全な発育に支障を来たすから? 女性の喫煙が好ましくないと言っていた理由はなんだったのか? 特に妊婦さんに関しては赤ちゃんに悪影響を与えるから? だったとしたら、副流煙という煙が彼らにさらに大きな悪影響を与えるものであるということが事実として判明しているのであれば、女性や未成年の喫煙よりも、その隣にいるお父さんの喫煙が最も最初に禁ずべきものではないのか? だけど、大人は辞められない、だから、子供たちはそんな大人たちを見ているから、良くならないのは当たり前だと思う。

 たとえば、テレビゲーム。これに関しても、「ゲーム脳の恐怖」という本で書いていたが、青少年がテレビゲームばかりをやっていると、脳の発育に重大な影響があるそうだ。我が家でも、それを読んでから、テレビゲームは押入れの隅にしまい込んだ。だけど、世の中では未だにテレビゲームが販売されている。それも、たとえば日本を代表する大企業であるsonyが、未だに何食わぬ顔してプレステを販売している。企業は金さえ儲かればいいのか? 企業理念はないのか? sonyほどの大企業ともなると、金儲けよりも社会的責任という部分の方が重要ではないのか? 僕から言わせれば、金さえ儲かれば何をやってもいいというライブドアとどこが違うの?、って思う。それと、では「子供のテレビゲームは脳の発育に悪影響があるから止めなさい」と言うが、それじゃあ、大人たちが大金をつぎ込んでいるパチンコはどうなの?って思うのは僕だけだろうか? パチンコの括りとしてはギャンブルというものであり、テレビゲームと比較するのは無理があるかもしれないが、ここで言いたいのは、それぞれの脳に与える影響という部分で考えると、パチンコの方がずっと悪影響が大きいのではないだろうか? 

 他にも山ほど同様な事例があるだろう。今の子供たちはいろいろな観点から問題があると言われ、良くするためにはどうするべきだ、ああするべきだ、と議論されているが、僕が思うのは、大人が手本を示すこと、すなわち親が子供に立派な背中を見せることが最も大切なことではないだろうか? つい最近テレビでどこかの優良な小学校の事例を取り上げていた。その中で、「早寝早起き朝ごはん」が子供にとって大切だと言っていた。そのことに関しては大いに賛成したい。だけども、その放送の中で、ある家庭の朝の風景を取り上げていたのだが、子供に対して母親が「早寝早起き朝ごはん」を実践するように言っていながら、子供がご飯を食べている横で、父親と母親はトーストを食べていた。それっておかしくないかい? 朝のご飯が頭の回転を良くするとかわかっているなら、何で両親は子供といっしょに実践しないの? 親がパン食ってたら、子供もだんだん馬鹿らしくなって、そのうちパン食うよ。普通、子供といっしょに頑張ろうと考えないかい? 今の子供たちをダメにしてしまったのは今の大人たちだ。その前を辿れば、もっと上の世代が悪いとか、責任を押し付けるのは容易だけど、だけど我々は見識のある大人なのだから、私たち大人がその責任をしっかり認識して、その上でこれからの子供の世代を良くしていくためにはどうすればよいのか、しっかり考えよう、そして、自ら実践しよう。

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